勝山館(上ノ国町)
松前氏の祖である武田信広が築いた勝山館
2015年08月16日
勝山館は、後の松前氏の祖である武田信広が15世紀後半に築いた山城で、16世紀末頃まで武田・蠣崎氏の日本海側での政治・軍事・交易の一大拠点でした。
長禄元(1457)年のコシャマインの乱を平定した信広は、蠣崎季繁の養女(安東政季の娘)をめとり洲崎館を築きました。 信広は、蠣崎季繁が没すると、蠣崎氏の家督を継ぎ、勝山館を築きました。
信広の子の2代蠣崎光広は、嫡子義広と本拠を松前の大館に移しました。勝山館は、次男の泊館主・高弘が城代となりました。
5代慶広が、豊臣秀吉や徳川家康から夷島の主として認められ、名前も「松前」と変えた頃、勝山館の役割も変わり、檜山番所へと引き継がれましたが、延宝6(1678)年、檜山番所は江差に移り桧山奉行所となりました。
20年以上行われてきた発掘調査により、中国産青磁・白磁・染付、国産の美濃焼、越前焼など約5万点の陶磁器や、金属製品、木製品など10万点余りの出土品や建物・井戸・空壕・橋などの跡が多数見つかりました。
昭和52(1977)年(1977年)4月12日、「上之国館跡」のうちの一つ「勝山館跡」として国の史跡に指定され、平成16(2004)年には、「上ノ国の中世の館(たて)」として北海道遺産に選定されています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H27.7.17
住所: 北海道檜山郡上ノ国町字勝山
関連リンク
タグ
地図
関連情報