大慈寺(盛岡市)
平民宰相原敬の墓所がある大慈寺
2015年08月30日
大慈寺は、山号は福聚山、黄檗宗の寺院です。
寛文13(1673年)年に徳真道空を開基として創建されました。
境内には原敬の墓所があります。
原敬は、安政3(1856)年2月9日に生まれました。
明治4(1871)年15歳で戊辰戦争敗戦の屈辱を胸に秘め上京し、新聞記者を経て、明治政府の役人となり外務省などに勤めました。その後大正3(1914)年6月、第3代立憲政友会総裁、大正7(1918)年9月には、平民でわが国初の内閣総理大臣(第19代)となりました。
清廉潔白と言われた原敬は、生涯衆議院議員を貫き通し、自由と平和を愛し、藩閥、軍閥、官僚などの特権階級と対決しながら、明治憲法下で政党政治を実現しました。
大正10(1921)年11月4日、東京駅丸の内南口で暗殺され、遺体は盛岡に運ばれ11月11日悲しみの雨が降りしきる中、ここ大慈寺に埋葬されました。
原敬は、大正10(1921)年2月20日付けの遺書の中に
「一、死去の際位階勲等の陞叙は余の絶対に好まざる所なれば死去せば即刻発表すべし
一、東京にては何等の式を営むに及ばず、遺骸は盛岡に送りて大慈寺に埋葬すべし
一、墓石の表面には余の姓名の外戒名は勿論位階勲等も記すに及ばず」
と記しています。遺書のとおり、「原敬墓」とのみ刻まれた墓石は、最期まで平民として生きた原敬の強い信念が表れています。隣りには、内外の厳しい政情の中を歩む原敬を最後まで支えた妻淺が「主人と同じ深さで埋葬されたい」という願いをかなえて眠っています。
原敬が15歳まで生活した市内本宮の「原敬生家(市指定有形文化財)」に隣接して建てられた原敬記念館では、原敬の遺品とともにその業績を辿ることができます。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H27.7.19
住所: 岩手県盛岡市大慈寺町5-6
関連リンク
タグ
地図
関連情報