聖徳寺跡(一宮市)
織田信長と斎藤道三が会見した聖徳寺跡
2015年09月06日
聖徳寺は、はじめ尾張国葉栗郡(後に美濃国羽栗郡)大浦郷(岐阜県羽島市)にあり、洪水や戦火で移転を繰り返したといわれています。
寺伝などによると、のち尾張国中島郡苅安賀(一宮市)へ、再び大浦へ戻り、その後ここ中島郡冨田へ移りました。
聖徳寺は、戦国時代の永正年間(1504〜1521)にこの地に移ったといわれ、天文年間〔1523〜1555、天文18(1548)年と天文21(1551)年と天文23(1553)年の3説〕に尾張の織田信長と美濃の斎藤道三が会見した寺として知られています。
道三は、信長に娘の帰蝶(濃姫)を嫁がせており、信長が「大うつけ」かを確かめるために会見を申し入れました。
信長は、うわさ通りのうつけ者の姿で聖徳寺にあらわれましたが、正装に改めて会見に臨みました。道三はこの会見で信長の力量を知り、ふたりの同盟は確かなものになりました。信長にとって、歴史の表舞台へ出るきっかけになった大きな出来事だったといえます。
また、後年には豊臣秀吉の加賀野井城や竹鼻城攻めの本陣にもなりました。その後、美濃国羽栗郡三屋(岐阜県笠松町)、尾張国春日井郡清須(清須市)を転々とし、さらに名古屋の東寺町(のち東門前町)から松本町(のち富沢町、中区錦)へと移転し、現在は守山区白山の七宝山聖徳寺と天白区八事山の八事山聖徳寺の2ヶ所に分かれています。
昭和49(1974)年1月15日に一宮市指定文化財になっています。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS M3
H27.8.7
住所: 愛知県一宮市冨田字大堀413-5
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