深志神社(松本市)
小笠原氏の崇敬を集めた深志神社
2016年01月27日
深志神社は、宮村宮と天満宮がルーツで、創祀は、信濃国守護小笠原氏と関わりの深い神社です。
社伝によると、宮村宮(宮村大明神)が井川城主小笠原貞宗により、南北朝時代初めの暦応2(1339)年9月9日に井川城の丑寅(北東)にあたる、長沢川の北端、捧荘庄内郷宮村の地に、諏訪明神の霊夢を受けて南面に社殿が造営されました。
その後、永正元(1504)年小笠原氏が、深志城(のちの松本城)を築いた際、産土神と崇敬し、社殿を西面に直し、城の巽(南西)の鎮護神としました。
一方、天満宮は、小笠原貞基が応永9(1402)年、居館である井川館近くの鎌田の地に京都・北野天満宮より勧請されましたが、江戸時代の慶長19(1614)年6月25日、後裔である小笠原秀政が、宮村明神の北側にさらに勧請され、並び祀られました。
そののち、両宮は「宮村両社・宮村大明神・宮村神社・宮村天満宮・深志天神」などと称され、城と城下町の鎮護の神社として歴代城主により篤く敬われました。そして正式な社名を、天保12(1841)年に京都・神祇道管領長上吉田家の認可を受け、「深志神社」と定めました。
社格は明治5(1872)年に郷社、昭和3(1928)年には御大典記念昇格により県社に列格しました。また昭和41(1966)年には神社本庁別表神社に列しました。
Photo Canon EOS M3
H27.12.19
住所: 長野県松本市深志3丁目7-43
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