全久院廃寺の跡にあり、現在に移される前の開智学校跡地・旧開智学校跡
2016年01月27日
旧開智学校は明治6(1873)年5月、女鳥羽川沿いのこの地にあった全久院廃寺の建物を利用して仮校舎が開校され、昭和38(1963)年3月までの90年間続いた、わが国で最も古い学校の一つです。現存する校舎は当時の筑摩県権令・永山盛輝の強力なリーダーシップによりその跡地に明治8(1875)年4月に起工され、翌明治9(1876)年4月に竣工しました。学校の様子は、「土地(ところ)自慢ではござらぬが建築の出来は目今日本第一等の小学校」と伝えられています。(「信飛新聞』第136号・明治9年)
この校舎は地元の大工棟梁・立石清重によって建築された擬洋風建築で、中央部の八角塔は時計塔・太鼓櫓などと呼ばれ、当時の擬洋風学校建築の大きな特徴であったといわれています。さらに八角塔と正面中央部の唐破風附き車寄の組合せは、他の擬洋風建築に類例がないほどでした。
開智学校は、明治時代、単なる小学校にとどまらず、初期から中期にかけて師範講習所、中学校、女学校、幼稚園、書籍館(図書館)、子守教育所、後期には記念館(博物館)、盲人講習所などが開設され、それぞれ分離発展し今日に至っています。
女鳥羽川河川拡幅改修や重要文化財環境保護ほかのため、校舎は昭和38(1963)年1月から翌明治39(1964)年8月にかけて現在地(松本市開智2丁目6番12号、松本市中央図書館南)に移築復原され、昭和40(1965)年4月から教育博物館として一般公開されています。
なお、開智学校の名前の由来は、明治5(1872)年に交付された「被仰出書」にある「人々自ヲ・・・・・・其身ヲ修メ智ヲ開キ・・・・」から採られたともいわれ、人々は開智学校校舎を文明開化の象徴とみていました。(現地説明板などより)
Photo Canon EOS M3
H27.12.19
住所: 長野県松本市中央1丁目