萩原諏訪城〔諏訪城〕(下呂市・旧萩原町)
金森長近が支城として築いた萩原諏訪城〔諏訪城〕
2016年02月08日
萩原諏訪城〔諏訪城〕は、豊臣家の武将金森長近が、天正13(1585)年当時飛騨を支配していた三木氏を亡ぼして、飛騨国領主となった時高山に本城を築き、支城として、古川(飛騨市・旧吉城郡古川町)に増島城を、そしてこの地に三木氏の桜洞城(下呂市桜洞)を廃して築いた諏訪城の城跡です。
この城を築く際、この地にはすでに諏訪神社が祀られていたため、神社を上村の大覚寺東南山麓に遷して工事を行いました。築城を担当した美濃国上有知(美濃市古城山)の城主佐藤六左エ門秀方は、工事材料に近在の仏堂を壊して利用したと伝えられ、また、「片目のヘビの話」やこの地に梅が育たないといった伝説(萩原のむかし話九十九頁)の主人公として有名です。
徳川時代になり、幕府の一国一城制によって増島城とともに元和5(1619)年廃城となり、金森家の旅館(公用宿所)となりました。
元禄5(1692)年、金森氏6代金森頼時の時、幕府は飛騨の地を幕府直轄地(天領)とし元禄8(1695)年高山城とともに、この旅館もとりこわされて、この約1100年にわたる歴史を閉じました。萩原の人々は、再び神社を遷したいと願い出て、宝永6(1709)年幕府の許しがあり本丸跡に諏訪神社を遷し現在に至っています。
お城の建物などは図面が残っていないため知ることができませんが、東西南北の4ヶ所の矢倉跡と石垣、西中間に中間矢倉跡、搦手道、水堀、空堀などが残っており、400年の昔を偲ばせてくれます。
昭和41(1966)年12月13日、岐阜県指定史跡となっています。昭和48(1973)年、石垣の補修工事が行われました。
水堀は、その昔益田川の淵であったといわれ、自然の要害を背に、水堀からの湧水を利用して作られたと伝えられています。近年生活排水の流入で池が汚れて魚も住まなくなり、又自然の要害も崩れて危険となっていました。このため、再び魚の泳ぐ池を取り戻し、大切な文化財を守るため、地元の協力を得て昭和54(1979)年、環境整備の工事が行われました。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H27.12.29
住所: 岐阜県下呂市萩原
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