清水山城(高島市・旧新旭町)
清水山城は、別名日高山城、比叡谷山城とも呼ばれています。
嘉禎元(1235)年に佐々木信綱の次男高信が、高島郡田中郷の地頭となり、その一族は鎌倉時代から戦国時代にかけて活躍しました。清水山城館は、西佐々木七人、七佐々木、高島河上七頭などと呼ばれた西佐々木一族の惣領家である佐々木越中氏(高島氏)の居城です。
城が存在した時期については、縄張研究等により、応仁年間(1467〜1469)に小規模な城郭が創建され、永禄年間(1558〜1570)に大改修され、元亀3(1572)年の織田信長の湖西地方攻略まで存在したと考えられています。
清水山城は、標高約210mの主郭を中心に、三方の尾根に曲輪を配置する山城で、主郭からは広大な平野や琵琶湖を一望することができます。
また、山城南方の山腹には、一族や家臣の屋敷跡と考えられる清水山遺跡(西屋敷・東屋敷)が広がり、段丘上には佐々木越中氏の館跡である「御屋敷」や騎射の訓練の一つで犬を放って標的にする犬追物を行った場である「犬ノ馬場」、佐々木氏の氏神を祀る大荒比古神社に隣接する本堂谷遺跡(井ノ口館)など、饗庭野台地の南東部一帯に城郭遺構が残っています。
さらに山麓には、西近江路が南北に縦断し、北から町場であった「今市」や、大手道が接続し、武家屋敷があったとされる「平井」や「安養寺」、「川原市」などの城下の集落が営まれていました。
清水山城館跡は、遺構の保存状態が良く、我が国の中世の在地豪族の城館を考える上で重要であることから、平成16(2004)年2月27日に国の史跡に指定されています。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS M3
H28.1.10
住所: 滋賀県高島市新旭町熊野本・安井川
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