葛井寺(藤井寺市)
西国三十三箇所第五番札所・葛井寺
2016年02月17日
葛井寺は、山号は紫雲山、真言宗御室派の寺院です。
西国三十三箇所第五番札所です。7世紀代に百済王族王仁の一族葛井氏の氏寺として建立されたと考えられます。
その後、45代聖武天皇が神亀2(725)年、本尊十一面千手観音菩薩坐像を奉納せられ、3月18日に僧行基により開眼法要が営まれました。
平城天皇の大同元(806)年、阿保親王が勅を奉じて再興、次いで在原業平が奥の院諸堂を造営し、ここに寓居せられました。
永長元(1096)年、大和国軽里の住人藤井安基が再興したため、その苗字から藤井寺とも称するようになりました。
後醍醐天皇、後村上天皇の帰依が厚く、元弘3(1333)年10月7日、仁王会を御修行あり、右中将楠木正成を勅使として綸旨を賜りました。しかし、南北朝時代の藤井寺合戦や戦国の兵火により多くの堂塔を焼失しました。
永正7(1510)年8月8日、大地震により伽藍諸堂が倒壊しました。慶長6(1601)年、豊臣秀頼により四脚門が再興されました。本堂、南大門などは江戸時代の再興です。
当寺が所蔵する室町時代の「葛井寺参詣曼陀羅」には堂塔は、薬師寺式伽藍配置として描かれており、創建時にも同様の伽藍配置を取っていたものと推定されます。現在では、境内に残された、塔心礎をはじめとしたいくつかの礎石に当時の名残をとどめています。
本尊は脱活乾漆造りの本尊十一面千手観音菩薩坐像(国宝)で芸術的にも優れ、天平時代の代表的な仏像です。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS M3
H28.2.14
住所: 大阪府藤井寺市藤井寺一丁目16番21号
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