妙円寺〔月性展示館・清狂草堂〕(柳井市〔旧大畠町〕)
「西の松下村塾、東の清狂草堂」と並び称された月性ゆかりの史跡・妙円寺〔月性展示館・清狂草堂〕
2025年12月08日

妙円寺は、山号は照光山、浄土真宗本願寺派の寺院です。
第10代住職が、幕末に国防の急を叫んでいた「月性」です。月性は詩人であり、偉大な教育者であり、僧侶であり、思想家であり、文武両道の剣術家でもありました。また、尊王論、海防論、倒幕論を唱えた思想面での先覚者であったともいわれています。
月性は、日本の植民地化を危惧し、庶民が結集して参画する兵制(農兵隊構想)を提唱しました。
封建社会にあって武士以外のものに武器を持たせる論は極めて奇抜な考えでした。また、長州藩で最初に討幕論を主張したのも月性です。月性は、最先端の考えを広めるために、この門を潜って新しい時代の源流を起こしました。
嘉永元(1848)年、32歳の時に妙円寺境内に私塾清狂草堂(時習館)を開塾しました。
開塾とともに遠近各地からその学徳を慕って入塾する者が多く、維新史上に多大の業績を残した人材を多数輩出し「西の松下村塾、東の清狂草堂」と並び称されました。
月性が境内に創設した清狂草堂(時習館)で学んだ志士たちは、この門から巣立っていき、また、各地から訪れた憂国の士たちもこの門を叩きました。慶応2(1866)年の大島口の戦いでは、第二奇兵隊や諸隊などが結集し、幕府連合軍に購利した実績は、維新への道を切り拓く大きな力になりました
境内にある清狂草堂は、明治23(1890)年、三十三回忌にあたり、大洲鉄然、入江石泉、天地哲雄等の門弟によって旧草堂を模し、記念館として建てられたものが現在の草堂です。
その名のとおり茅葺の六畳、四畳半二間、「西の松下村塾、東の清狂草堂」といわれた風格があります。平成11(1999)年県内外の方々の浄財により全面補修が行われました。
また、本堂は慶応2(1866)年、四境の役・大島口の戦いに、第二奇兵隊の本陣となり、高杉晋作が指揮を執りました。
また、妙円寺本堂の西側には正面に「清狂師之墓」と書かれた「僧月性の墓」があります。
妙円寺の表門は、第十世の住職であった月性が海防を掲げて東西走した幕末期の建物です。薬医門形式で切妻の本瓦葺きとし、両側に脇門を付し、旧状をよく保っています。
境内にある「立志の詩碑」は、「明治維新百年記念事業」の一環として、昭和44(1969)年妙円寺境内に建立されました。
原紙は、萩の松陰神社にあるそうです。天保14(1843)年、月性の京阪遊学の際に詠んだものです。
「男児立志出郷関 学若無成復不還 埋骨何期墳墓地 人間到処有青山(男児志をたてて郷関出ず、学若し成る無くんば復還(またかえ)らず 骨を埋むる何ぞ期せん墳墓の地 人間到る処青山有り)」
また、境内には月性展示館があり、月性に関わる書画、額画、巻軸、書翰、書冊などを展示しています。
開館時間 9:00~16:00
休館日 毎週月曜日
入館料 大人200円
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R7.11.16
住所: 山口県柳井市遠崎729
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