沼津御用邸記念公園(沼津市)
かつての皇室の御用邸を公園として公開・沼津御用邸記念公園
2016年04月17日

沼津御用邸は明治26(1893)年、大正天皇(当時は皇太子)のご静養のために造営されました。
御用邸は皇室が主として保養のために用いる別邸で、気候が温暖で、前面には駿河湾、背後には富士山という風光明美な地であり、すでに大山巌(陸軍大臣)、川村純義(海軍大臣)、大木喬任(文部大臣)、西郷従道(陸、海軍大臣)の別荘が建てられていました。川村純義は後に皇孫殿下(昭和天皇と秩父宮殿下)の養育係になりました。こうした理由の他明治22(1889)年に東海道線が開通し交通の便がよくなったことも御用邸設置の理由として挙げられます。
本邸は明治25(1892)年末から翌26(1892)年にかけて最初の新築工事が行われ、同年7月に竣工しました。御座所(居間)、御寝室、御食堂、湯殿、臣下詰所などを含む1,200平方メートル(370坪余)の木造平屋建ての和風建築でした。
明治33(1900)年1月には260坪増築され、同年11月には新御殿の東側に230平方メートル(約70坪)の洋館が新築されました。この洋館は当時の御用邸としてははじめての洋風建築物です。
東附属邸は明治36(1903)年4月、本邸の東側に赤坂離宮東宮大夫官舎を移築し、皇孫殿下(昭和天皇、秩父宮、高松宮)の御学問所として造営されました。木造平屋建て、552平方メートル(約167坪)です。その際附属建物の増築が少し行われた以外は当時の姿のまま今日に至っています。
西附属邸は、明治38(1905)年8月、宮内省は本邸西隣にあった川村純義伯爵の別荘を買い上げて皇孫殿下(昭和天皇、秩父宮、高松宮)のための御用邸としました。翌39(1906)年6月に皇居内の附属建物424平方メートル(約128坪)を移築して継ぎ足しました。これが現在御座所や女官室などがある部分です。さらに明治41(1908)年7月に御車寄、御料浴室などが増築され、大正11(1922)年には御玉突所が増築されて渡り廊下で結ばれ、全体面積1,270平方メートル(約384坪)の附属邸が完成しました。
昭和20(1945)年7月17日に本邸が焼失した後は西附属邸が本邸の役目を果たすようになり、昭和44(1969)年12月6日に沼津御用邸が廃止になるまで、昭和天皇をはじめ皇室の方々に利用されてきました。
昭和45(1970)年3月には、昭和天皇・皇后両陛下が沼津御用邸とのお別れのため訪れました。昭和45(1970)年7月1日からは記念公園として庭園や邸が公開され、多くの来園者を集めています。西附属邸は建物だけでなく室内の家具・調度品まで復元されており、当時の皇族の暮らしにふれることができます。東附属邸は、皇孫殿下の御学問所としての性格を受け継ぎ、文化活動のための施設となっています。
また、焼失した御用邸本邸の跡地に建てられた歴史民俗資料館では、駿河湾で使われてきた漁具類や沼津の地場産業となった干物作りの道具、湿田農耕の資料などを展示しています。平成18(2006)年には日本の歴史公園100選に選定されています。
開園時間 9:00~16:30
入園 大人100円 小中学生50円(幼児は無料)
入園+西附属邸 大人400円・小中学生200円(幼児は無料です)
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H28.3.6
住所: 静岡県沼津市下香貫島郷2802-1
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