保渡田八幡塚古墳(高崎市・旧群馬町)
造られた当初の姿に復元された保渡田八幡塚古墳
2016年09月10日
保渡田古墳群は、昭和60(1985)年9月3日に国の史跡に指定されています。
榛名山東南の麓、群馬県高崎市(旧群馬町)保渡田・井出にある3つの前方後円墳の総称です。いずれも墳丘の長さ100m級の大型古墳です。5世紀後半に、二子山古墳→八幡塚古墳→薬師塚古墳の順で相次いで造られ、この地に有力な豪族がいたことを示しています。
八幡塚古墳は、南東1kmにある三ツ寺Ⅰ遺跡(巨大な館)に住み、榛名山東南麓・井野川流域を治めた豪族の墓です。当時、群馬県地域(上毛野)は国内でも有力な地域でした。八幡塚古墳の被葬者は、古墳の充実度からみて、この頃、上毛野各地に勢力を持った豪族達のなかでも代表的な人物であったと考えられています。
墳丘は全長96mで3段に造られ、斜面は葺石で飾られています。周囲には、内堀・外堀・外周溝が巡り、それらの間には内提・外提が設けられています。
墓域の長さは約190mに及ぶ。内堀の中には4つの島(中島)があり、この古墳の特徴となっています。
この古墳には、たくさんの埴輪が並べられていました。外界との垣根である円筒埴輪は、幾重にも列をなして並べれ、その数6000本と推定されています。内提上の2ヶ所には人物・動物埴輪を置く区画(A区・B区)があり、各50体以上が並んでいたと考えられています。これは、一つの古墳では最多級の量で、かつ配列状態もわかる重要な資料です。
遺体を納めた施設は、後円頂部に2ヶ所存在しました。後円部の中心には、舟形石棺が据えられていました。古墳を築いた豪族本人の棺と思われます。その脇には竪穴式石槨(木棺を石で囲んだもの)も発見されました。近親者の埋葬移設と思われます。
八幡塚古墳はかつては、大きく削られていました。そのため史跡公園の全体計画にあたり、この古墳に限って造られたときの姿に復元し、活用することが決定されました。
5ヶ年にわたる発掘調査結果を基に、古墳に保存用の土を厚く盛って、築造時の姿に復元しました。
平成28(2016)年6月17日の歴史秘話ヒストリア「コーフン!古墳のミステリー」に登場しました。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS M3
H28.8.7
住所: 群馬県高崎市保渡田町
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