勝願寺(鴻巣市)
真田小松姫、真田信重夫妻、仙石秀久、伊奈忠次など著名人の墓がある勝願寺
2016年11月30日

勝願寺は、山号は天照山、院号は良忠院、浄土宗の寺院です。
元は登戸(鴻巣市)に鎌倉時代、鎌倉の光明寺開山の良忠に登戸の地を寄進し、一宇を建立した事に始まります。
しかし、戦乱により衰退しましたが、天正元(1573)年現在の地に清巌上人が再興しました。
文禄2(1593)年、鷹狩の際に勝願寺を訪れた徳川家康はニ世住職円誉不残上人に深く感銘を受け帰依し、三つ葉葵紋使用を許可し、庇護をしました。
結城秀康が越前に移封されると結城の地は天領となり、不必要になった結城城内の建物、御殿、台所、太鼓櫓などを徳川家康が寄贈しました。
慶長11(1606)年、円誉不残上人は後陽成天皇から僧の最高位である紫の紫衣を与えられ、やがて壇林として隆盛し、寛文年間には関東十八壇林の一つとして定められたました。
しかし、徳川幕府崩壊後に衰退し、明治3(1870)年、台風により結城城から移された結城御殿が倒壊し、明治15(1882)年の火災により堂宇の大部分が火災により失われてしまいました。現在の堂宇は明治・大正期に再建されたものです。
境内には真田小松姫、真田信重夫妻、仙石秀久、伊奈忠次、丹後田辺城主・牧野家累代の墓があります。
小松姫は元和6(1620)年、病の療養のため江戸から草津に向かう途中、2月24日にここ鴻巣で亡くなりました。享年48歳。遺骸は火葬され上田市の芳泉寺に葬られ、鴻巣の勝願寺、沼田市の正覚寺に分骨されました。当山とは生前中興二世の貫首円誉不残上人に深く帰依したことにより元和7(1621)年、一周忌に際し信之の二女松姫(見樹院)が当山に分骨造塔したことによります。
真田信重は、慶安元(1648)年2月23日に鴻巣で病没し、母の小松姫の縁で勝願寺に埋葬されました。信重の妻は鳥居左京亮忠政の6女で慶安2(1649)年12月9日に没しました。長野市松代町の西楽寺には夫妻の霊屋があり位牌が安置されています。
仙石秀久は、慶長19(1614)年江戸から小諸への帰路、ここ鴻巣で病没し、遺名により長野県上田市の本廟から勝願寺に分骨されました。
牧野氏は、天正18(1590)年、牧野康成げ石戸領5000石を領し、その子信成は加増により大名に列し、石戸藩主となりました。後に関宿に転じた信成嫡子親成は、京都所司代を勤めた後、寛文8(1668)年、丹後田辺城主3万5千石の譜代大名として、約200年続き明治維新を迎えました。ここには歴代の当主夫妻が眠っています。
Photo Canon EOS M3
H28.10.21
住所: 埼玉県鴻巣市本町8-2-31
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