尼飾城(長野市)
東条氏の居城で真田幸隆が攻略した尼巌城
2017年01月13日
伝承によれば、尼厳城(東条城)は、鎌倉時代以前から築城されていた難攻不落の山城です。周りの霞城、金井山城、寺尾城はその支城と伝えられています。
弘治2(1556)年、武田信玄は真田幸隆に尼厳城の攻略を命じました。城主の東条氏はよくこれに抗しましたが、高坂弾正らの武田軍の加勢により、ついに城は落城し、東条氏は越後の上杉謙信の元へ逃れました。
その後、城は信玄の命により改築され、永禄3(1560)年頃、山本勘助により海津城(松代城の原形)が完成すると、防衛的な山城として重要視されました。
天正10(1582)年、武田勝頼が織田信長との天目山の戦いに敗れ、武田氏が衰退すると、上杉景勝らの援護のもとに、北信濃の所将は旧地を回復し、上杉家臣となっていた東条信広も尼厳城将として復帰しました。
慶長3(1598)年、上杉景勝が会津120万石に移封され、これにともなって東条氏ら川中島の将士達も会津に移ったため、尼厳城は400年以上の山城の歴史に幕を閉じ廃城となりました。
現在も急峻な山頂一帯に、永い風雪に耐えた本郭、腰郭、堀切などの一部が残っています。
(現地説明板などより)
松代付近では、「一に春山(若穂綿内・綿内氏)、二に鞍骨(松代町清野・清野氏)、三に尼飾」といわれる城です。三方は断崖絶壁で、北西だけが尾根続きになっています。
Photo Canon EOS M3
H28.12.29
住所: 長野県長野市松代町東条
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