仙洞御所(京都市上京区)
上皇のための御所だった仙洞御所
2017年04月05日

仙洞御所とは,皇位を退かれた天皇(上皇,院などといわれる)の御所です。後水尾上皇の御所として江戸時代初期の寛永7(1630)年に完成しました。それと同時にその北に接して東福門院(後水尾上皇の皇后,将軍徳川秀忠の娘和子)の女院御所も建てられました。
古くは内裏のように一定の場所にあったわけでもなく,また必ず置かれたわけでもありませんが,後水尾上皇以来現在の地すなわち京都御所の東南に定まりました。後水尾上皇が御存命の間に三度焼失し,その都度再建されてきましたが,以後,霊元,中御門,桜町,後桜町,光格の五代の上皇の仙洞御所として使用されました。
嘉永7(1854)年の大火で京都御所とともに焼失したのを最後に,ちょうどその時上皇も女院もおられなかったこともあり造営されないままとなりました。そのため,現在の仙洞御所には,醒花亭,又新亭の二つの茶室以外に御殿等の建物は全くなく,東側いっぱいに南北に展開する雄大な庭園が往時の面影を残しているだけです。
築地塀は安政2(1855)年、京都御所と共に建造されたものです。
大宮御所とは,皇太后の御所をいいます。現在,築地塀内北西隅にある大宮御所は,慶応3(1867)年に英照皇太后(孝明天皇の女御)のために女院御所の跡に造営されたものです。英照皇太后が東京に移られた後は,御常御殿のみを残して整理され,現在に伝えられています。
庭園は,仙洞御所の作事奉行であった小堀遠州が寛永7(1630)年の御所の完成に引き続いて作庭したもので,古図によれば仙洞・女院御所とも石積みの直線的な岸辺を有する斬新な感覚の広大な池をもっていたようです。
しかし,改修拡張等により遠州当時の遺構は南池東岸の一部にわずかに認められるにすぎません。延享3~4年(1746~1747年)にかけて女院御所の庭園(北池)と仙洞御所の庭園(南池)が掘割でつながれました。
北西の一隅にある大宮御所は、明治5(1872)年まで英照皇太后のお住まいでありましたが、現在は、天皇皇后両陛下や皇太子同妃両殿下が入洛された際の御宿舎として用いられております。その南は仙洞御所の殿舎が建ち並んでいた跡でありますが、現在は松林となっており、大正、昭和の即位の御大典にあたって大嘗宮がここに造営されました。
東側一帯は女院御所と仙洞御所の庭園が掘割によって結ばれて一体となって発展した回遊式大庭園です。
総面積9万1千㎡余りで、そのうち大宮御所の面積は約1万6千㎡、仙洞御所の面積は約7万5千㎡におよびます。
参観するための出入門は、大宮御所の正門が使用されております。
京都御所、桂離宮、修学院離宮とともに皇室用財産(国有財産)として宮内庁が管理しています。
参観方法
宮内庁ホームページもしくは往復ハガキ、宮内庁京都事務所参観係窓口にて申し込みが必要
参観休止日
月曜日(なお,月曜日が国民の祝日に関する法律に規定する休日となるときは,翌火曜日が休止日)
年末年始(12月28日~翌年1月4日)
行事等の実施のため支障のある日
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H29.3.11
住所: 京都府京都市上京区京都御苑3
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