匂坂館〔匂坂城〕(磐田市)
遠江の国人領主匂坂氏の居城・匂坂館〔匂坂城〕
2017年05月31日
匂坂城(さぎさかじょう)は、遠江の国人領主匂坂氏の居城です。
天文元(1532)年匂坂筑前守六郎五郎長能は、社山城主を菅沼重左衛門定平と交替し、本領匂坂に城砦を構築しました。また社山城より若宮八幡社を匂坂城に移し鎮守としました。
永禄11(1568)年、長能の跡を継いでいた匂坂吉政は今川氏から離反し、はじめは武田信玄の重臣秋山虎繁(信友)に属そうと秋山の陣所を訪れました。ところが、兄政信の子政祐が「自分が匂坂の嫡流」だと売り込んだため、政祐を殺し、そのまま家康のもとに奔り、家康から本領を安堵され旗本の一人に加わりました。
その後、元亀元(1570)年6月28日、織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が激突した近江姉川の戦いで、朝倉方の猛将真柄十郎左衛門を討ち取る武名をあげています。子孫は、徳川幕臣として続きました。
匂坂城は、元亀2(1571)年3月の武田信玄の高天神城攻めの際、3月6日信玄により小田松、匂坂、宮口の3城が落城しました。
遠江に進出した武田信玄は、匂坂城を落とした後は穴山梅雪を置いて守らせていました。この頃の匂坂城は、武田軍の二俣攻めに際し、掛川と浜松を分断する大きな役割を果たしていました。城跡は匂坂氏の館跡で宝暦年(1751)間、土地を鋤塚とし、槍、太刀等が出たので、若宮の内に納められました。
周囲は遺構らしきものはなく、石碑が建っているのみです。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H29.5.3
住所: 静岡県磐田市匂坂
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