相良城(牧之原市・旧相良町)
相良城は、天正3(1575)年諏訪原城を落とされ、牧ノ原台地を経由する高天神城への支援ルートを失った勝頼は、小山城から遠州灘沿いのルートを確保するため天正4(1576)年高坂弾正に命じて相良城を築かせました。
天正10(1582)年武田氏滅亡後、天正14(1586)年相良城は天野三郎兵衛康景によって徳川家康の相良御殿が営まれました。
宝永7年(1710)寺社奉行であった本多忠晴が相良1万5千石を領して陣屋を構え、その後板倉氏、本多氏が藩主となり、明和4(1767)年7月に田沼意次が10代将軍徳川家治から築城の命を受け近代城郭として相良城の築城を開始しました。翌明和5(1768)年、老中にのぼり5万2千石に加封された意次は、相良城の築城に着手し、安永9(1780)年に石垣造りの城を完成させました。
その規模は東西500m、南北450m、約7万坪ありました。
それまであった相良御殿を改修し、萩間川、天の川を外掘として構え、本丸、二の丸、三の丸を巡らしました。
しかし完成したのもつかの間、松平定信の台頭により田沼意次は失脚し、完成から約8年後の天明8(1788)年に相良城の取り壊しが決定し横須賀藩主の西尾隠岐守忠移、浜松藩主の井上河内守正甫、田中藩主の本多伯耆守正温が相良に着き、その検分を行いました。その後、天領となりましたが、文政8(1825)年、陸奥下村から田沼意正が1万石で相良に復帰し、以後3代続いて明治を迎えました。
城跡は牧之原市役所相良支所、相良城史料館が本丸跡に、牧之原市立相良小学校が二の丸跡、静岡県立相良高等学校が三の丸跡にあたります。相良小学校には二の丸の土塁が校門脇に残っています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H29.5.4
住所: 静岡県牧之原市相良275−2
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