生実陣屋(千葉市中央区)
北小弓城(生実城)の跡地の一角に建てられた森川氏の陣屋・生実陣屋
2017年07月25日
生実陣屋は、北小弓城(生実城)の跡に江戸時代、生実藩主1万石の森川氏が構えた陣屋です。
ここ生実の地は、千葉氏が安房の里見氏や上総の武田氏に対峙する重要な拠点であったため、古くから幾多の争奪戦が繰り広げられました。生実城(北小弓城)は、天文8(1539)年千葉氏の重臣・原胤清が、ここ生実神社一帯に築城したとされています。天正18(1590)年原胤清が、徳川家家臣・酒井家次との「野田十門字野の戦い」で戦死するまでの52年間存続しました。その後、一時幕府の直轄領となりましたが、寛永4(1627)年森川出羽守重俊が生実藩一万石の藩主となり、明治初期まで生実城の一郭に陣屋を構えていました。
生実城跡の南側を通過する都市計画道路の整備に伴う発掘調査により、戦国時代から近世に至る多量の遺構・遺物が検出され、いままで文献のみでしか知ることができなかった生実城の素顔が明らかになってきました。これまでに戦国時代から近世まで使われた堀跡、4体の人骨を埋葬した地下式礦(墓)・井戸跡・建物跡などの遺構と、「享禄4年」(1531年)銘のある庚申待板碑や多数の陶磁器などの遺物が検出されています。
生実神社の境内に土塁や空堀が残っています。また境内に説明板も建てられています。
北小弓城の一角にあった生実神社は、崇道天皇や藤原広嗣など朝廷により冤罪をかけられた人々の霊を祭神としておりもとは御霊神社と呼ばれていました。天文年間(1532~1555年)に小弓城主の原氏が祀ったとされています。後年、城内に陣屋を構えた森川氏は当社を崇敬し、4代俊胤の宝永4(1707)年に武運長久の祈願を行い、同7(1710)年に社殿を造営しました。
明治4(1871)年には北生実305戸の鎮守となり、更に明治43(1910)年に村内の諸社を境内に移して合祀し、生実神社と社名を改めました。祭礼は10月10日ですが、宵宮(前日の夜)に湯立神事が行われています。(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H29.7.13
住所: 千葉県千葉市中央区生実町1551−1
関連リンク
タグ
地図
関連情報