北小弓城〔生実城〕(千葉市中央区)
原氏の城・北小弓城〔生実城〕
2017年07月25日
千葉氏は上総方面の備えに小弓城を築き、重臣原氏に守らせていました。その後、後北条氏と小弓公方足利義明・里見氏との勢力の拮抗する所となりました。
天文7(1538)年、第1次国府台合戦に勝った後北条方の原氏は、領地を取り返し、新たに北小弓城を築き、ここを本拠地としました。
天正18(1590)年、後北条氏は滅亡し、この城は徳川家康のものとなり、西郷家員が支配するところとなりました。寛永4(1627)年、生浜地区を中心に1万石の大名となった森川重俊は、生実城の一画に陣屋を築き、この付近を治めるようになり11代243年続きました。
城は、鎌取方面から東京湾に向かって東西に延びる台地の先端に築かれ、北と南側は谷、西は生実池によって囲まれ、東は北から入りこんだ浅い谷に堀切を入れて台地を区切り、その規模は600m四方に及んでいます。森川氏は、城の一画に陣屋を構えたので、主郭部はそのまま残っていましたが、45年の団地造成により土塁・空堀等の施設は消滅しました。
平成3(1991)年の発掘調査で、享禄4(1531)年銘のある庚申待板碑が井戸用テラスの床面下から出土したことから、この城の築城、または改築の時期を知る資料として注目されます。
(現地説明板などより)
本城公園に説明板が建っています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H29.7.13
住所: 千葉県千葉市中央区生実町
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