洲崎神社(館山市)
源頼朝、太田道灌、里見氏ゆかりの神社・洲崎神社
2017年08月14日

洲崎神社(すのさきじんじゃ)は延喜式神名帳に「后神天比理乃咩命神社大 元名洲神」と記され、 天太玉命の后神を祀る式内大社で、元の名を洲神と称しました。
宝暦3(1753)年の「洲崎大明神由緒旧記」によると、神武天皇の時代、天富命が御祖母神天比理乃咩命の奉持された御神鏡を神霊として、洲辺の美多良洲山に祀られたことに始まります。
治承4(1180)年、安房に逃がれた源頼朝が、戦勝と源氏再興を祈念して神田を寄進、後、妻政子の安産を祈願しています。
室町時代には江戸城を築いた太田道灌が、江戸の鎮守として明神の分霊を勧請したと伝えられています。房総里見氏も当社を尊崇して、7代義弘が神領5石を寄進し、江戸幕府もこれに倣って朱印状を下しました。
幕末の文化9(1812)年、房総沿岸警備を巡視した老中松平定信は「安房国一宮 洲崎大明神」の扁額を奉納しています。
神位は平安時代に正一位、鎌倉時代に元寇戦勝祈願の功により勲二等に叙せられ、明治6(1873)年県社に列せられた。往時、別当寺は養老寺など五ヶ寺を数えました。洲崎明神は古来伝承されている数々のあらたかな霊験から、安産・航海安全・豊漁・五穀豊穣や厄除開運の守護神として信仰が厚く、現在に及んでいます。
本殿の屋根は銅板葺の切妻造で、前方の流れを延長して向拝屋根としたいわゆる三間社流れ造りで、柱などの軸部は朱塗りで仕上げられています。軒下の組物を、寺院建築で用いられる唐様三手先とするのは、珍しい点といえます。
社伝では延宝年間(1673〜81)の造営とされていますが、三手先の形式がくずれている点や、支輪や虹梁・蟇股などの彫刻に江戸時代中期以降のものが多い点から、その後に大規模な修理が加えられていることがわかります。
しかし本殿の正面と背面には、古い社殿の部材と思われる蟇股もあります。
とくに背面の竹に虎を配した彫物のある本蟇股は、江戸時代初期の寛永年間(1624~44)頃の様式に従っているもので、延宝年間の造営の際に再利用されたものと考えられています
洲崎踊りは、毎年、2月の初午と8月20~22日の神社例祭に奉納されます。「みろく踊
り」と「かしま踊り」の2種類からなり、地元ではこれらを「みのこ踊り」と呼んでいます。8月の例大祭には勇壮な神輿の渡御や浜祈祷も行われます。
神社裏の御手洗山の自然林は県の文化財指定を受けています。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H29.7.14
住所: 千葉県館山市洲崎1344
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