誕生寺(鴨川市・旧天津小湊町)
日蓮聖人誕生の地小湊に建立された誕生寺
2017年08月24日
誕生寺は、山号は小湊山、日蓮宗の大本山です。
日蓮聖人は、承応元(1222)年小湊に生まれました。聖人は自らの出生を「安房国長狭郡東條郷片海海人(かたうみあま)が子なり」(「本尊問答抄」)といわれ、
聖人没後五十年頃の聖人伝「本門宗要抄」には「出生の処は安房国長狭郡東條小湊の浦の釣人権頭の子也」とあります。
誕生寺は隣村上総興津の豪族佐久間兵庫助重吉の子竹寿麿(日家)、甥の長寿麿(日保)により建治2(1276)年開創され、日蓮聖人を開山とし、日家上人を二祖、日保上人を三租とし、聖人誕生の地に建立されました。
しかし、明応7(1498)年8月の明応地震の際大津波があり堂宇坊舎ことごとく流出しましたので、秡崎(はらいざき)の南端から現在の地に移りました。
延宝8(1680)年の記録「誕生寺寺法」によれば、境内地は南北三十二町(3456m)、東西二十町(2160m)とありますから関東屈指の大寺であったことがわかります。
天正8(1580)年里見安房守義頼が四十石の田畑及寺面海上十石を、更に慶長9(1604)年市川の地二十石を、重臣正木太夫頼忠より寄進しております。
そして慶安元(1648)年徳川3代将軍家光が御朱印によりこれを認められました。現在の特別天然記念物「鯛の浦」はこの「寺面海上十石」の寺領内のものです。
この頃の小湊村は、七十石の御朱印、海上十石の運送業権を背景にして近海航路の港門前町として栄え、人口もこの地方では最も大きな港町であったといわれます。
しかし、元禄16(1703)年11月房総沖を震源地とする大地震大津波により、支院十坊、門前の人家百余戸が流出し僧俗四百八名が溺死する大災害に見舞はれました。
もちろん、当山の被害は甚大なものでありましたが、幸い水戸の徳川綱条(粛公)が先代黄門光圀の追善のため七堂伽藍を一基建立され、忽ち旧に復することが出来ましたが、それも束の間、宝暦8(1758)年大火により、三光殿(釈迦堂、祖師堂、本堂)を焼失しました。
現在の雨落十八間四面総欅造りの大祖師堂は天保13(1842)年に、又総桧造りの貴賓殿は昭和六年に、夫々十万人講、五十万人講等の全国勧募により完成したものであります。
又、明治に入り東宮殿下(大正天皇)の御祈願所となり、同時に有栖川宮熾仁殿下により有栖川宮家御霊堂(竜王殿)が境内に建立されて、御皇室とのご縁も結ばれました。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H29.7.15
住所: 千葉県鴨川市小湊183
関連リンク
タグ
地図
関連情報