万木城(いすみ市・旧夷隅町)
万木城は、中世の城郭で現在までその遺構をよく留めています。
この城の立地は断層崖の急傾斜を三方に持った台地によっていますが、この丘陵の三方は夷隅川の曲流に囲まれていて外堀の役目を果たし守るには要害の地ということでできます。この中世城郭が戦国時代末期には既に完備した城郭であったことは、永禄8(1565)年の行元寺文書の存在から傍証できます。
この城郭が比較的単純であるというのは、土居の配置が単純で、ただ周囲の一部にめぐらされていたこと、空堀の築造がなかったと思われることなどですが、これは地盤の基底が硬い泥岩質で、急崖をめぐらしている崖端城ともいえる要害が然らしめたものと推定されます。
万木城については不明な点が多く、万木土岐氏には三代説、五代説、九代説があります。
土岐三代説 頼元-為頼-頼春
五代説 頼元-頼房-頼定-為頼-頼春
九代説 時政-光頼-頼金-頼為-頼元-頼房-頼定-為頼-頼春
等様々で、いずれも確証がないため、謎に包まれたままです。
天正18(1590)年には、頼春の時でしたが秀吉の命を受けた家康の部将本多忠勝に攻められ、万木城も落城しました。城址には当時のものと思われる井戸や落城のときに焼けた米が炭になって、当時米倉であったと思われる南側の台地の土中にまで散在しています。櫓台には天守風の展望台が建っています。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H29.7.15
住所: 千葉県いすみ市万木
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