国府台城(市川市)
現在は里見公園となっている国府台合戦の舞台・国府台城
2017年09月01日

「鎌倉大草子」によれば、文明10(1478)年に扇谷上杉氏の家宰太田道灌が「下総国国府台」に陣取り、仮の陣城を構えたとあり、これが国府台城の始まりであるとする説があります。道灌は武蔵にいた千葉自胤を助け、敵対する千葉孝胤と戦うためにここに陣取り、境根原(柏市)に出陣し、孝胤を破っています。
これより以前の康正2(1456)年、千葉自胤は兄の実胤とともに「市川城」に立てこもり、足利成氏方に抵抗していましたが、梁田出羽守らにより城を落とされ、武蔵石浜(台東区)に逃れていました。この「市川城」と太田道灌の仮の陣城との関係が注目されるが、同じものなのかどうかは不明です。
国府台は標高20~25mの下総台地の西の端で、江戸川に平行して南へ張り出した大きな舌状の丘陵であり、現在の里見公園の中に土塁城の城郭遺構が現存しています。そして公園の北に向かっても城郭の遺構らしきものが確認されます。公園内の遺構は破壊が激しく、築城の時期を想定することは難しいですが、太田道灌の時代よりは後の時代に属する、とする推測もあります。
この地は、その後天文と永禄の二度にわたり、小田原の戦国大名北条氏と安房の里見氏らにより行われた合戦、いわゆる国府台合戦の舞台となっています。
天文7(1538)年の合戦は、北条氏綱と小弓公方足利義明・里見義堯らが戦ったもので、小弓(千葉市)に拠を定めた義明と北条家が担ぐ本家筋の古河公方家との戦いです。これに対して永禄7(1564)年の戦いは、着々と東国に覇権を確立せんとしていた北条氏康と、これに対抗する里見義堯・義弘らの戦いでした。〔前年の永禄6(1565)年にも合戦があったとする説もあります。〕
永禄の合戦の結果、北条軍は圧勝し、里見方は盟友である正木氏の一族など多くの戦死者を出し安房に敗走しました。
現在の国府台城跡は、この合戦の中で激突する両軍の争奪の場となり、戦後、北条氏の手により規模が拡大強化され、初期のものから戦国期の城郭に進化した、とする説もあります。現在の公園内には、江戸時代になって作られた里見軍の慰霊のための供養塔がたてられています。この地はその後、里見八景園という遊園地の敷地となり、その後は陸軍軍用地となり終戦を迎えました。昭和33(1958)年9月にこの付近は「里見公園」として整備されています。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H29.7.16
住所: 千葉県市川市国府台3丁目9
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