岩神館(高島市・旧朽木村)
朽木氏が将軍のために築いた岩神館
2017年09月11日
朽木氏岩神館遺跡は、高島市朽木岩瀬の興聖寺境内一帯(東西120m×南北160m)に位置し、同じ境内には名勝旧秀隣寺庭園が存在します。
庭園と館は、安曇川によって形成された河岸段丘の縁に位置し、眼下に流れる安曇川と対岸の集落を見下ろし、その背後の蛇谷ヶ峰を遠くに望むことができる立地にあります。東側の眼下には若狭街道が通り、西側の背後には岩神館の遺構である土塁や堀が現在でも残っています。
岩神館が造られた詳しい年代は不明ですが、享禄元(1528)年に室町幕府第12代将軍足利義晴が京都の兵乱を避け、朽木稙綱を頼って朽木の地に身を寄せたとされています。朽木稙綱は、将軍のために「岩神館」を造り、この館内に作庭した庭園が旧秀隣寺庭園として現在に至ります。
岩神館の遺構は、境内南半分を占める墓地の西側にコの字形に残る土塁と空堀が残っています。土塁は南北56mが完存し、両端は東方に向かって直角に折れます。北端は11.5mが、南端では29mが残存します。空堀は、土塁の外側に薬研堀状に巡っており、西側部分では堀底より土塁頂部まで2.5mを測ります。南側の土塁先端よりさらに9mの前方まで、堀の痕跡が残ることから、往時は土塁と共にさらに東方の崖端まで続き、この館の弱点である南方部分の防備を固めていたと考えられます。
庭園は、安曇川の清流とその背後の蛇谷ヶ峰が望める池泉鑑賞式庭園で、左手の築山に組まれた「鼓の滝」から流れ出た水は、鯉魚石とされる水分石を流れ落ち、池泉に注ぎます。曲水で造り上げた池泉には石組みの亀島、鶴島の2つの中島を浮かべ、最もくびれた中央付近には自然石による石橋を架けます。随所に豪快な石組を配し、非常に多くの景観と作庭意匠を用いる庭園です。この庭園は、室町幕府管領の細川高国が作庭したとされています。高国が作庭したといわれる三重県津市美杉所在「名勝北畠氏館跡庭園とも類似することが指摘され、中世末期の武家庭園として観賞できる数少ない名勝庭園です。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H29.8.5
住所: 滋賀県高島市朽木岩瀬374
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