白幽子巌居之跡〔夜船閑話発祥之地〕(京都市左京区)
江戸時代前期から中期にかけての隠士・書家だった白幽子厳居之跡
2017年12月08日
白幽子巌居之跡は、京都一周トレイルのハイキングコースを瓜生山に向かっていく途中にあります。
ここは白川の隠士、松風窟白幽子が厳居した跡です。白幽子の名は慈俊、石川丈山の弟子となり、兄の克と共に丈山に事え丈山の死に水を取り、晩年ここに隠棲しました。又ここは白幽子が内観の法を白隠に伝授した所謂「夜船閑話」発祥の地でもあります。
「夜船閑話」は、後に臨済宗中興の祖と尊崇される白隠禅師(1685~1768)が白幽子によって肺病を治癒した体験の名著です。この著書で白幽子の名と内観の秘法とは日本中に広まりました。
白隠は26歳頃打ち続く寝食を忘れる猛修行で身心の調和が破れ、肺金焦枯の病を患いました。今の肺病です。旅で美濃に在った白隠は人口から、京都比叡山麓白川に白幽子と名乗る一仙人があって稀代の医方により肺金を救うと聞き、直ちに白川に来て山中を尋ねこの巌窟に至りました。巌窟の奥深く白髪は長く膝に垂れ、軟らかい草のしとねに座る白幽子に相見を許されました。一見して白隠の偉相を観た白幽子は初めて白隠に内観気海丹田の法・・・人身長寿の秘訣を余すことなく伝授しました。時に宝永7(1710)年正月半ばのことです。白隠はこの秘法によって起死回生して明和5(1768)年84歳まで長生きしました。
明治の南画家富岡鉄斎百錬居士は夙に禅を学び、白幽白隠両祖対面の霊地保存を発起して、明治39(1906)年10月自ら建碑して、表に「白幽子厳居之跡」と書し、裏にその事積を記しました。そしてこの厳居と白幽子が日常飲んだ清泉の不朽を計りました。
今も厳居の前に建つ碑がそれです。残念なことに戦後心無き者がこの碑を傷つけました。然し禍を転じて福となすことになって、これを機にこの霊跡の保存と顕彰が、京都円町の臨済宗妙心寺派法輪寺の前住職伊山和尚によって進められました。今の臨済宗の発展は白隠禅師を外して語ることはできません。その白隠禅師蘇生の大恩人が白幽子です。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS M6
H29.11.3
住所: 京都府京都市左京区北白川清沢口町
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