清沢口石切場(京都市左京区)
白川石の石切場・清沢口石切場
2017年12月10日

7千万年という遥かな昔の話、この瓜生山のあたりに地下のマグマが噴き昇ってきて地層の隙間に貫入しました。つまり噴火しないで溶岩が地表を押し上げておびただしくたまってしまったのです。その範囲は比叡山の南半から大文字山北半と言われています。しかも高さは比叡山を眼下に見おろす程でした。
この溶岩は徐々に冷却して巨大な一塊の花崗岩の山となりました。押し上げられた表面の古生層の土や岩は陶磁器のように焼き入れられて、大部分は崩壊流失し、一部は変成岩(ホルンフェルス)となって残りました。四明岳山頂の「将門岩」がその動かぬ証拠です。
この山の花崗岩は化学組成とその比率や冷却期間の長かったせいなど相俟って、特に結晶粒子が大きく美しい「白川石」となったのです。しかも風光明媚な京都は平安京以前より貴紳の住む土地なので、大建築に必要な石材の需要が永く途絶えませんでした。白川は最適の供給場所てあり、礎石や敷石から始まって燈籠、庭石、さては石仏、石鳥居に墓石にと最も細工に適した石材が無尽蔵でした。そして風化のため粉砕された「白川砂」さえも枯山水庭園に欠くことのできない化粧材料となりました。白川の人々は先祖代々石工になりました。
山全体が花崗岩だといっても、場所によって多少の違いはあります。石材を取る技術の幼稚な昔のこと、風化した表面や地価の石は取れないので、街道沿いや谷間が採取場となり、ここ「清沢口」や「石部谷」、「蓬谷」一乗寺の「雲母坂」が知られています。
江戸時代の名所だった白糸の滝、船石などもそれ故に消滅してしまいました。土地の人々が採石よりも細工に優れていたことや、風致保護の土地柄から現在は採石されていません。
大体噴出した溶岩は玄武岩や安山岩となりますが、花崗岩は地中で徐々に冷却されてできます。このため石英と長石が十分結晶して大粒となり、これに黒雲母や角閃石が色どりを添えた美しい石となるもので、白川石は稀有元素を含む褐簾石も混ざっています。
火成岩は冷却の過程で規則的な独特の割れ目ができますが、緻密な花崗岩にも専門家にしかわからない節理があり、これに沿って「矢」(くさび)を打ち込むと巨岩も思うように割れます。ここで採石した石は、狭い道は台車、それより牛に曳かせて運んでいました。この清沢口では、途中である程度細工を施してから平坦地へ運ぶことが多かったのです。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS M6
H29.11.3
住所: 京都府京都市左京区北白川
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