花岡城(岡谷市)
諏訪湖近くにある伊那の入り口の重要な拠点・花岡城
2018年01月08日

花岡城は、尾尻城・小尻城・池尻城の別名があり、山を前山、古城山とも呼びましたが現在は城山といっています。
守屋山系の北端にあって、東は諏訪湖、北は天竜川に面し、伊那の入口の重要な地点でした。
この城は鎌倉時代初期の築城といわれ、主郭は、東西約38m、南北約20m、広さは約430㎡ほどあり、西側に土塁が築かれています。主郭より一段下がって二の郭があり、主郭と二の郭の間に空掘があります。二の郭も土塁をめぐらし、二の郭の北西側一段下がった所が出丸です。
諏訪湖尻に突き出した自然の地形が所々に凹みを作って多稜形をなし、多数の寄せ手を少人数で防ぐに有利な地形でした。
付近には御堂小屋、城下、城日向、かち屋敷などの地名を残しています。城主は初期に神氏一族の花岡氏、承久年中(1219〜)のころ有賀四郎、応永年中(1394〜)有賀美濃守入道性存の一子豊後守、戦国時代に有賀氏、さらに浜氏となっていることが「諏訪旧蹟年代記」に見えています。天文17(1548)年7月、塩尻峠の戦いで武田晴信(信玄)と小笠原長時が戦った時、下伊那郡鈴岡城主小笠原信貞が兄長時を救援のため伊那郡の諸豪を率いて北上し、花岡城付近で一戦を交えたと伝えられています。
城山には多くの石造物がみられますが、三山講に関係したものも少なくありません。三山講が花岡村に入ったのは天明年間(1781〜)で、以後城山は三山講のより所となりました。
文政6(1823)年に頂上主郭にあった三山大権現参拝のため石段が造られ、登り口の石灯籠は元治元(1864)年に建立されました。左右2基の内左は藩主諏訪家、右は家老千野家の家紋が刻まれています。横川の石工山田平蔵と金左衛門父子の作です。三山大権現の碑は、倒れる危険があり昭和48(1973)年に二の郭の現在地に移されました。
明治41(1908)年、花岡青年会は城山に道路を開いて花岡公園とし、7月13日開園式を行いました。大正2(1913)年には有志が相談して、紫明閣ほか数軒の料亭を建て清遊所に当て、桜を植え花見電灯をつけるなど施設はしだいに整いました。湖辺に突き出した園上から、眼下の湖辺一帯を見おろす眺めは絶景で、当時は製糸業の全盛期に当たり
ここに散策する工男、工女で賑わいました。ここは今でも桜の名所として、また岡谷市街を一望できる公園として市民に親しまれています。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
H29.12.29
住所: 長野県岡谷市湊1丁目
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