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志布志城〔内城〕(志布志市)

志布志城の主要部分を占める志布志城(内城)
2018年02月06日
志布志城は内城・松尾城・高城・新城の四つの城郭で構成されています。
肝付氏の没落による天正5(1577)年の島津氏初代地頭、鎌田出雲守政近まで、およそ400年間の豪族の興亡の歴史を繰り返しています。
正平3(1348)年に楡井頼仲が志布志松尾城主となります。
延文2(1357)年、畠山氏らにより大崎胡麻崎城と志布志城を攻略され、大慈寺で自刃し、楡井氏は滅亡。楡井氏の後は新納氏が松尾城を、志布志内城は新納氏と対立した畠山氏が有し、この時点で内城と松尾城が存在していた事がわかります。その後、新納氏は島津氏久の救援を受けて畠山氏を攻め、志布志内城を占領し、志布志城は島津氏久の所領するところとなりました。
氏久が内城に入ったのは貞治4(1365)年頃と推定されています。氏久は後に鹿児島清水城に移り、家臣の新納氏が志布志を治めてました。この期間、新納氏によって志布志城は拡張され現在のような規模の城郭となり、さらには山麓の居館が置かれたとされています。
天文5(1536)年、新納忠勝は、島津氏内の勢力争いによって豊州島津氏、北郷氏、肝付氏に三方より攻められて降伏、志布志を去り、志布志城は豊州島津氏が治めることになりました。その後、永録元(1558)年以降、肝付氏が毎年のように志布志を攻め、同5(1562)年に攻め落とされ肝付氏の城となりました。その肝付氏も天正4(1576)年には伊東氏に敗れて衰退していき、島津氏に降伏し、同5(1577)年より志布志城は島津氏の持ち城となり鎌田政近が初代地頭となって志布志城の支配を任されました。
江戸時代に入って、最終的に一国一城令によって廃城となりました。
南北朝時代までは、本丸と矢倉場といわれる曲輪のみであり、新納氏の時代に中野久尾・大野久尾と拡大し、内城本丸の山下に居館を置きました。戦国期に現在見られるような直線連郭型式の山城となりました。
中世の新納氏200年間の居城の守護神である三宝荒神が本丸跡に、また、新納家始祖新納時久公の墓が矢倉場の旧新納家墓地跡に残っています。
この内城は、空堀の規模が大きく縄張も明快で、港・河口・街道に望んで望遠観察にも適しています。また、中世城下町の存在も予想されており、伝承にも恵まれた、南九州でも有数の山城です。平成5(1993)年3月24日に内城跡が鹿児島県指定史跡になり、さらに平成17(2005)年7月14日に国の史跡に指定されました。
平成29(2017)年4月6日、続日本100名城(197番)に選定されました
(現地説明板などより)

Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
H30.1.28
住所: 鹿児島県志布志市志布志町帖6380

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