鎌倉時代の武家門の型式を残す入来麓武家屋敷群にある茅葺門
2018年03月19日
入来麓伝統的建造物群保存地区は、平成15(2003)年12月25日に全国62地区目の国選定重要伝統的建造物群保存地区となりました。入来麓は、中世山城である清色城を背景として、その山裾に近世の地頭館(お仮屋)を置き、東を流れる樋脇川(清色川)との間の平地を中心的居住地域としています。
中世入来院氏の居城である清色城の麓に配され、中世から近世にかけて同一地区に居住した地区です。南側は地割の区画整理が施されており、碁盤の目状に石垣で区画がなされています。北側は、地割が不整形のままで、区画整理が施されていませんが、区画は石垣でなされています。
この地域の地形的特質は、西(清色城)と北(向山)と東の山に囲まれて、南に農地を構え、その中心を流れる樋脇川(清色川)とそこに展開された武家住宅の構成で成り立っています。
麓が中世(戦国)城下に起源を有し、山城の麓や谷間に家臣を集住させたことを伺わせるものであり、特に河川を天然の堀に見立ててその内側に集住地を配することは、軍防を主とした戦国期の城下形成の代表的な例と考えられます。
樋脇川(清色川)沿岸の植生及び清色城が一体となった景観と、ゆったりとした雰囲気で自然と調和した玉石垣群や生垣等の緑あふれる緑化環境の中、整然とした佇まいを残しています。
鎌倉時代の宝治2(1247)年に入来院地頭職に任じられた渋谷氏はその後明治維新に至るまで620余年間入来領主として君臨したという日本全国でもまれな歴史を持っています。
渋谷氏は室町時代中期から入来院氏を名乗りましたが、この茅葺門は鎌倉時代の武家門の型式を現代まで守ってきたものです。
ここの庶流入来院家で800年近くも鎌倉文化が守られてきたことはまことに意義あることといえるようです。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
H30.1.31
住所: 鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名