野間之関跡(出水市)
薩摩藩と肥後藩の国境の要地に設けられた野間之関跡
2018年03月26日
野間の関は、関ヶ原の戦い前後に、 薩摩藩と肥後藩の国境の要地であったこの地(野間原)に設けられました。
島津藩から派遣された出水の地頭は、代々国境の警備が重要な任務でした。藩政時代の領外への主要陸路は、出水、大口、高岡の三筋で、中でも出水筋は最重要視されました。それぞれの藩境の要地に関所を設け、さらにその左右の間道に辺路番所が置かれました。野間の関の周辺には、狩集・草木原・芭蕉・青・椎・上場・切通に辺路場所が置かれ、水も漏らさぬ警戒陣でした。藩境の境川(当時は橋はなかった)は、4km先です。
ここには、関守として8人の郷士が駐屯しており、辺路番所にも番人が駐屯していました。関の規則は時代によって異なりますが、他領への旅行者や物資の出荷を検査し、無証文の者は絶対に入れませんでした。江戸時代後期の尊王思想家・高山彦九郎や歴史学者の頼山陽等が入国に苦労した記録が残っています。
「薩摩びといかにやいかに刈萱の関も鎖さぬ御代と知らずや」 これは、薩摩に入ろうとした尊王思想家・高山彦九朗が、大宰府の刈萱の関さえも通してくれる時代なのに、野間の関で足止めされたことに憤慨して詠んだものです。 徳川泰平の世となり、各藩は国境の警備を緩めたのに、薩摩藩はその藩体制を堅持する為に、ますます取締りを強化しました。しかし、明治維新、廃藩置県を経て、野間の関もその役目を終え、関所の跡をとどめるだけに至りました。
石碑「野間之関趾」は、国境警備の要であった野間の関を後世に伝えようと大正12(1923)年に建立されたもので、正面の文字「野間之関趾」は、東郷平八郎元帥の書によるものです。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
H30.1.31
住所: 鹿児島県出水市下鯖町
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