天保義民碑(野洲市)
近江天保一揆の犠牲者を顕彰するために建立・天保義民碑
2018年05月23日
この保民祠と天保義民碑は、天保13(1842)年当地に起こった天保一揆の犠牲者を顕彰し、その義挙の精神をいつまでも後世に伝え、義民の遺徳をしのぶために、保民祠は明治26(1893)年に、天保義民碑は明治28(1895)年に建立されたもので、保民祠は旧祠が損壊甚だしいため、平成4(1992)年に旧祠と同様式で新築したものです。
天保一揆は、幕府役人が5尺8寸(176cm)の間竿に6尺1分(182cm)の目盛りをして公然と不正検地によって年貢増徴を図ろうとしたことに、野洲・甲賀・栗太4万人の農民が、三上村庄屋土川平兵衛らを指導者として立ち上がったもので、幕府役人に検地を10万日日延べする証文を書かせて一揆は勝利しました。
しかし、土川平兵衛らは首謀者をして江戸に送られ、過酷な取調べののち獄死しました。
平成4(1992)年10月、一揆150年を記念して保民祠を新築するとともに、その横に土川平兵衛辞世の詩を刻んだ歌碑を建立、50年後の一揆200年(2042年)への願いを納めたタイムカプセルを埋設しました。
150余年後の今でも、自らの命をかけて郷土を守ろうとした勇気ある献身的な行為は、天保義民として遺徳を偲び、その心を後世に伝え、毎年10月15日にこの場所で天保義民祭が行われています。
「人のため 身は罪とがに近江路を 別れて急ぐ 死出の旅立ち」(土川平兵衛 辞世の句)
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS M6
H30.4.21
住所: 滋賀県野洲市三上
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