恵解山古墳(長岡京市)
乙訓地域で最大の前方後円墳・恵解山古墳
2018年08月26日
恵解山古墳(いげのやまこふん)は、古墳時代中期に築造された全長約128mの乙訓地域で最大の前方後円墳です。
桂川右岸の標高わずか16メートルの台地の端につくられています。
周囲に幅約30メートルの周濠があり、周濠を含めた古墳の全長は約180メートルに及びます。
古墳は3段に築かれ、斜面には砂岩やチャートの河原石がふかれ、各段と頂部平坦面には埴輪が並べられていました。
後円部には死者を埋葬した竪穴式石室があったとみられます。前方部の中央には刀剣など鉄製武器が約700点納められてあり、京都府では他に例がなく、全国的にも珍しいものです。恵解山古墳は、その規模や構造から5世紀前半頃に桂川右岸の乙訓地域全域を治めた支配者の墓と考えられています。
羽柴秀吉と明智光秀が戦った山崎の戦いの舞台になったと考えられ、発掘調査で当時の土器片とともに火縄銃の鉛弾が出土しています。また、後円部にある現在の墓地が棚田状に3段になっていることや、前方部に大きな掘り込みがあることも、光秀が恵解山古墳に陣を置いた際の造作である可能性があります。
平成26(2014)年、史跡公園としてオープンしました。
また、昭和56(1981)年10月13日に「恵解山古墳」として国の史跡に指定されていましたが、平成28(2016)年3月1日、「天皇の杜古墳」・「恵解山古墳」・「寺戸大塚古墳」の3件を統合し、これに他の古墳8基を追加指定のうえ、史跡指定名称が「乙訓古墳群」に変更されました。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS M6
H30.8.1
住所: 京都府長岡京市勝竜寺30
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