若桜郷土文化の里(若桜町)
歴史民俗資料館、三百田氏住宅、無動山永福寺の山門、たくみの館等で構成される若桜郷土文化の里
2018年10月02日

若桜郷土文化の里は若桜駅からほど近い屋堂羅集落の入り口に位置し、「若桜町歴史民俗資料館」、「無動山永福寺の山門」、鳥取県指定保護文化財である「三百田氏住宅」、そしてギャラリーの見学や木工品の製作体験のできる「たくみの館」などで構成されています。
若桜町歴史民俗資料館は、若桜の中心街にあった明治30(1897)年に設立された「合資会社若桜銀行」の建物として明治40(1897)年に創建されました。
明治時代の典型的な土蔵造りで、当時銀行の威信にかけ銘木を駆使した斬新な設計で、外観は間口と比べて低い軒にどっしりとした平入の本屋と、なまこ壁をあしらった妻入の土蔵が一体となり、全体で変化に富んだ美しさを現出しています。内部は開放感のある高い天井と柱や梁などに銘木が使用され、奥座敷は床の間を備えた落ち着きのある空間となっています。銀行の設立者が威信をかけて斬新な設計を行ったことがうかがえるとともに、当時の宿場町若桜の繁栄が分かる建造物といえます。
なお、この建物は統廃合で誕生した各銀行の支店として利用されましたが、昭和56(1981)年に山陰合同銀行若桜支店の社屋新築にあたり、旧社屋を譲り受けて3月20日に移転復元したものです。昭和62(1987)年、若桜町建造物有形文化財に指定されています。
無動山永福寺の山門は、昭和56(1981)年10月15日に若桜町長砂地内の永福寺跡から若桜歴史民俗資料館隣に移転復元したものです。
この無動山永福寺(現在廃寺)は、県の保護文化財に指定された大日如来像(胎蔵界と金剛界)2体が本尊とされ、現在鳥取県立博物館に委託管理されています。この尊像の彫刻手法は、考証によると平安時代末期から鎌倉時代初期の製作とみられます。昭和62(1987)年、若桜町建造物有形文化財に指定されています。
鳥取県の保護文化財である三百田氏住宅はかつての庄屋の家で、江戸中期の建築様式を伝える貴重な建物です。
三百田家は古くから庄屋をつとめる家柄で、もとは若桜町吉川にありました。昭和58(1983)年に若桜町が建物の寄贈を受け、平成5(1993)年に現在地に移築復元されました。当住宅は時代の推移とともに幾多の増改築を受けていましたが、元禄7(1694)年4月に建築当初の姿に復元されました。
かつて三百田家のあった吉川村では、三百田文書により元禄元(1688)年に大火があったことが記載されており、当住宅に残る礎石や束石に火災の痕跡が認められることから、この大火により被災したことが窺われます。その後、元禄7(1694)年に主屋が建てられ、附属屋が順次増築されたことが、「一代普請合力人数帳(昭和49(1974)年追加指定)」により明らかとなっています。
当住宅は木造平屋建、入母屋造で茅葺屋根を持っています。土間に沿って大きな一室(座敷)があり、その上手に二部屋(奥の間、納戸)を構える広間型三間取で、土間内にウシノマヤを設ける、当地方の民家の典型的な平面を示しています。
元禄期の当地方の民家では釿仕上げが一般的であったの対し、当家では、主要な柱や梁が鉋で仕上げられており、座敷の土間境に建具を入れる等、近隣の民家に比べ先駆けた技術が用いられています。これは、村内の八幡神社造営にあたっていた播州赤穂の大工によって建てられたためと考えられています。
普請帳と併せて、当地方における江戸時代中期の建築方式を窺うことができる貴重な古民家です。昭和39(1964)年3月3日、鳥取県指定保護文化財になっています。
たくみの館では、木工ロクロを使って、こけし人形やコマ、茶托づくり等の体験もでき、古くから人の生活にとけ込んだ木工の世界に触れることができます。また、ギャラリーでは、展覧会やいろいろの企画で文化を楽しむことが出来ます。
(現地説明板などより)
開館時間 9:00〜17:00(12月〜2月は16:00まで)
料金 無料
休館日 毎週月曜日、年末年始(12/29〜1/4)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
H30.9.16
住所: 鳥取県八頭郡若桜町屋堂羅
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