東林寺(横須賀市)
東林寺は、正式には浦賀山立像院東林寺という浄土宗鎮西派の寺院です。
開山は唱阿上人です。
「新編相模国風土記稿」には、「いにしえは今の寺院を分ち唱へて二ケ寺なりしを大永三年(1523年)僧良道合わせ一寺とす、故に此僧を開山と称す」とあります。
浦賀奉行所与力であった中島三郎助親子の墓があります。
浦賀奉行所与力・中島三郎助は、浦賀を代表する人物で、嘉永6(1853)年ペリー来航の際、最初に黒舟使節団との折衝にあたるなど敏腕をみせ、翌年、日本最初の様式軍艦「鳳凰丸」を建造しました。
三郎助は文武に優れ、「大衆帰本塚」の碑文を書き、俳号は「木鶏」と称し、人々から敬慕されていました。
明治維新では、幕臣としての意志を貫き、函館の千代ヶ岡台場で二人の息子と共に戦死しました。
享年49歳でした。父子の墓は東林寺にありますが、函館中島町に「中島三郎助父子最後の地」の碑があります。
境内に入ってすぐ、本堂へ登る石段の右脇に石の鳥居があります。
これは、州崎町の町内稲荷である三浦稲荷の鳥居です。
この鳥居のすぐ下に「南無阿弥陀仏」と太く刻まれた石塔があります。
これを建てたのは、浦賀の遊廓(当時は洗濯屋と言った)の主人で、後に家屋敷や財産すべてを投げ出し、抱えていた遊女を解放し、自らは仏もに帰依し京都青龍寺で得度した江戸屋半五郎です。
そして、この名号を書いたのは、目黒の祐天寺の6世、祐全和尚です。
この石塔や三浦稲荷の前は、さほど広い場所ではありませんが、『浦賀事跡考』によれば、文化6(1809)年6月に雷電為右衛門が来て相撲の興行が行われました。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
H30.12.28
住所: 神奈川県横須賀市東浦賀2
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