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国友鉄砲の里資料館(長浜市)

戦国時代から江戸時代まで鉄砲などの生産地として栄えた国友を紹介・国友鉄砲の里資料館
2019年02月15日
国友鉄砲の里資料館は、戦国時代から江戸時代まで鉄砲などの生産地として栄えた国友の歴史資料の保存と紹介を目的として昭和62(1987)年10月10日に開設されました。館内では集落内に残る国友鉄砲(火縄銃)を集めて大量展示をしています。
「東洋のエジソン」と称される国友一貫斎、遠州流茶人辻宗範ら国友の文化人に関する展示も行われています。
天文12(1543)年8月25日、種子島に伝来した鉄砲は、足利将軍の命により伝来の翌年に国友で作り始められました。
ネジを切る方法など創意工夫を重ね、大量の鉄砲製造が可能になりました。最盛期には国友には70軒の鍛冶屋と500人を超す職人がいました。
銃身を作る「鍛治師」、銃床を作る「台師」と引金や火ばさみ部分(カラクリ)を作る「金具師」の3人(専門職)が1挺の鉄砲を作り上げ、また彼らは年寄、年寄脇、平鍛冶と組織をつくり大量の鉄砲の注文に対応しました。
天文18(1549)年、織田信長から鉄砲の注文を受けた国友鍛冶師は、翌年10月に500挺を納めました。いちはやく鉄砲を取り入れた信長は、天正3(1575)年の「長篠の戦い」、元亀元(1570)年から10年間続いた「石山合戦」などで効果的に鉄砲を使用しています。また、天正元(1573)年に長浜城主となった羽柴秀吉は、国友鉄砲鍛冶を手厚く保護したことで知られています。以降、日本の合戦で鉄砲が大量に使用されるよう様変わりし、慶長5(1600)年の「関ヶ原合戦」や同19(1614)年の「大坂冬の陣」で一貫目・500目玉筒の国友製大筒が使用されました。こうして鉄砲を最大限に活用した信長、秀吉、家康は勝利者となっていきました。
敷地内に司馬遼太郎文学碑もあります。

国友鉄砲鍛冶
国友村に次郎助という鍛冶がいた。年の頃はわからないが、若者のような気がする。かれは螺子についてさまざまに想像し、試みに刃の欠けた小刀でもって
大根をくりぬき、巻き溝つきのねじ形をとりだし、もう一度大根にねじ入れてみた。これによって雄ねじと雌ねじの理をさとり、老熟者に説明すると、一同、
大いに次郎助をほめた。その名が「国友鉄炮記」にとどめられていることからみても、かれの名と功は感嘆されつつ伝承したものとおもえる。
司馬遼太郎著「街道をゆく」より

開館時間 9:00〜17:00(15:30受付終了)
休館日  年末年始(12/28〜1/3)     
観覧料等 一般300円 小中学生150円

Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
H31.2.4
住所: 滋賀県長浜市国友町534番地

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