山崎山城(彦根市)
山崎山城は、中世の小規模な山城跡で、比高50mの山崎山西側の山麓に、織田信長が整備した当時の下街道を真正面から見下ろすように立地しています。
この城跡は、本市教育委員会が、彦根市南部地区の上水道の配水池設置計画に伴い、平成4(1992)年度から6(1994)年度にかけて発掘調査を行いました。その結果、遺構は山頂部尾根を取り巻くように石垣を積み、西側尾根を竪堀で区切り、尾根線上には直線的に郭を連ねた連郭式のものであったことを確認しています。また、出土遺物の大半は素焼きの小皿で、戦国時代後期のものと考えられます。
石垣や櫓台などが確認されたため、これまで考えられていた土造りの山城ではなく、石垣造りの山城であったことがわかりました。
この石垣は自然石を積み上げ、隙間には間詰石が詰め込まれた野面積みで、確認された2~2段の石垣の上にはさらに人工的に抉られた地形が確認でき、本来の高さはこの抉られた地形の上端までと考えられます。この石垣は上部から切り崩された土砂で完全に埋められており、城郭破却(破城)されたものと考えられます。
石垣の特徴が安土城と極めて似ており、織田信長の近江支配時に築かれ、破却も安土城が機能しなくなる頃と想定されます。
山崎山城は、戦国時代には地元の領主の山崎氏の居城であり、天正10(1582)年4月21日においても、山崎に「御茶屋」を設けて山崎源太左衛門片家が信長を接待した記録が残っています。
この城は、安土城と佐和山城の中間地点で、しかも信長が整備した下街道(後の朝鮮人街道)を遮断する位置にあります。信長の近江支配の支城として石垣造りの城へと大改修され、信長と命運を共にしたと考えられます。
この時代の小規模な山城で石垣を有するものは、確認例が極めて少なく貴重な遺構であるとともに、彦根城が築かれる以前にこの地域がたどった歴史を知るうえで貴重な資料であり、平成10(1998)年8月4日に彦根市指定文化財に指定しました。
山頂からは、現在も観音城跡や安土城跡、佐和山城址等が遠望でき、なぜにこの地に城が築かれたのかの理由を知ることができます。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
H31.2.4
住所: 滋賀県彦根市稲里町
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