継体天皇の父「彦主人王」の陵墓と伝えられる田中王塚古墳〔安曇陵墓参考地〕
2020年07月03日
田中古墳群は、高島平野の中央を流れる安曇川右岸に広がる泰山寺野台地の東端部一帯にに位置します。昭和45(1970)年に行われた滋賀県教育委員会の遺跡分布調査により、その存在が明らかになりました。平成21(2009)年~24(2012)年にかけて実施した測量調査によって、古墳の総数は70基にのぼることが判明しました。
田中古墳群の北端には、古墳群で最大の大きさを誇る「田中王塚古墳」が存在しています。現在、田中王塚古墳とその周囲の古墳4基は、継体天皇の父「彦主人王」の陵墓「安曇陵墓参考地」として宮内庁が管理しています。周辺の地形測量から全長約70m、高さ約10mの「帆立貝形」(円墳とする説もある)を呈する古墳です。築造時期は、周辺から採集された埴輪の破片や古墳の形から、5世紀中葉と考えられています。古墳の規模や造られた時期から、田中古墳群の中心的な古墳(盟主墳)と考えられています。
伝承では、彦主人王は、近江国、北越五カ国を刺史として治めておられました。越前国坂中井(現在の坂井市)より妃として迎えられた振媛さまは垂仁天皇の子孫にあたられ、この山崎の地で三つ子をご安産になりました。三王子の弟彦太王は後に中興の名君第26代継体天皇となられました。彦主人王は王子が5歳の時にお亡くなりになりましたので、この地に葬られたと伝えられています。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R2.6.20
住所: 滋賀県高島市安曇川町田中