楢崎家跡(京都市中京区)
坂本龍馬の妻となるお龍(鞆)の実家・楢崎家跡
2020年12月02日
柳馬場三条下ルのこの付近は、のち坂本龍馬の妻となるお龍(鞆)の実家がありました。
お龍は、青蓮院宮に仕える内・外科医、楢崎将作の長女です。天保12(1841)年に富小路六角付近で誕生し、しばらくしてこの地に移り住んだと思われます。
お龍には、父母のほか、弟妹が4人もおりましたが、家事を任されることもなく、華道、香道、茶道などのおけいこごとに専念できたようです。父在世中は、いわば良家のお嬢さまとして、裕福に暮らしていたといえます。
文久2(1862)年6月20日、父楢崎将作が亡くなると、お龍ら一家の生活は一変します。長弟太一郎はまだ幼少で、亡父に代わって家族をやしなうことができず、とうとう一家はばらばらになります。
お龍とは別行動をとった母貞と末妹の君江は、洛東大仏方広寺南門前(現在の三十三間堂南大門)の河原屋五兵衛(もしくは五郎兵衛)の隠居所に居住する、土佐亡命志士の賄いのため、住み込みで働きます。ここに龍馬が住んでいたのです。これがお龍と出会うきっかけとなります。
龍馬はさきに紹介した姉宛の手紙に、お龍に関するさまざまなエピソードを記し、「まことにおもしろき女」と評価しました。
龍馬が愛したお龍の人格の形成された場所、それは父の死まで一家団欒をすごしたこの地であったにちがいありません。
以上の理由から、当地を龍馬に関する重要史蹟とし、石碑を建立するものです。
(現地説明板などより)
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R2.10.3
住所: 京都府京都市中京区槌屋町
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