堀井城(小野市)
堀井城跡ふれあい公園として整備された堀井城
2020年12月06日
堀井城は、四方に堀、土塁を巡らせた典型的な中世の方形城館跡です。
城の範囲は東西160m、南北200mと考えられています。公園として整備された主郭部の規模は東西80m、南北100mです。城の形は少し北西に歪んだ方形で、主郭との連絡は南側の中央に架けられた土橋1ヶ所だけになっています。主郭の周囲を巡る堀、土塁は明治年間に改変され、堀は幅8〜10m、深さ1.5m、土塁は6m〜14m、高さ1m〜4mありましたが、築城時においての堀幅は狭く、土塁はもう少し高かったと考えられています。
築城の経緯については諸説があり、確かなことは分かっていませんが、室町時代に当地域を支配した赤松氏の家臣が居住した城と考えられます。
当地は、中世の京街道(京都―姫路)と加古川が交差し、軍事上重要な位置にあたりました。堀井城の南南東600mにある河合城は、嘉吉元(1441)年に赤松満祐が足利義教を殺害した嘉吉の乱の際に将軍の首を持ち帰った城として知られています。
堀井城の東600mにも小堀城があり、堀井城は小堀城とともに、赤松氏の東播磨支配の拠点的性格を持つ河合城の支城と考えられています。
なお、明治時代には現在の加古川線(発足当時:播州鉄道)の発起人で、貴族院議員を務めた斯波與七郎氏が居住したことから、地元では「斯波屋敷」とも呼ばれています。
堀井城一帯はその後、田畑や住宅地などとなり、近年は放置状態で竹やぶがうっそうと茂っていましたが、市は地元の要望を受けて一帯を市有化し、平成30(2018)年度から約2年間をかけて、土塁などをそのまま残す形で公園に整備し「堀井城跡ふれあい公園」として令和2(2020)年、オープンしました。
広さ約15,000㎡あり、グラウンドゴルフのコースがある芝生広場と、土の多目的広場、休憩所、外堀を埋めて作った外堀園路(1周400m)などを備えており、堀井城の歴史が分かる説明板も設置されています。
(現地説明板などより)
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R2.10.17
住所: 兵庫県小野市河合西町
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