古長禅寺(南アルプス市・旧甲西町)
武田信玄の母大井夫人の菩提寺・古長禅寺
2021年05月15日
古長禅寺は、山号は瑞雲山、臨済宗妙心寺派の寺院です。
かつて栄えた真言道場の旧跡を正和5(1316)年夢窓国師が再興した禅刹で、現在臨済宗妙心寺派に属し、古くから甲州における禅風高揚の一拠点となったところです。
武田信玄は、幼少の頃府中(甲府)から釜無川を渡ってこの地に住持岐秀和尚を訪ねひたすら参禅研学しました。天文21(1552)年生母大井夫人(信虎室)の逝去にあたり大泉寺の安元和尚を導師としてここに葬りました。のち寺が甲府に遷されてから古長禅寺と呼ばれました。
大正13(1924)年火災のため諸堂、古記、什物など失われましたが、延文2(1357)年在銘の夢窓国師坐像は難をまぬがれ国師の構想になると伝えられる築庭に面する法堂に安置されています。なお、寺域には国指定の天然記念物ビヤクシンの巨樹をはじめ開山ならびに大井夫人の供養塔や高野明神、丹生明神の祠があります。
大井夫人は、明応6(1497)年甲斐西郡の雄、大井信達の長女として生まれました。当寺、世は室町の中期で既に戦国争乱の時世、父信達は永正12(1515)年ごろ、国主武田信虎と勢力を競い合い戦いを交えましたが、勝敗つかず和議が成立しました。その結果、政略結婚によって夫人は信虎のもとに嫁ぎ、嫡子晴信(信玄)、信繁、信廉、今川義元の夫人等の生母となりました。
晴信には大井氏の菩提寺住職、岐秀元伯に文武の道を学ばせました。よって古長禅寺は晴信公薙髪の道場とも呼ばれています。
夫人は天文10(1541)年信虎駿河退隠には従わず、除髪して躑躅ヶ崎館北の曲輪に住みました。そのことにより、「御北様」と言われ、天文21(1552)年5月7日に55才で逝去され、大井の庄鮎沢の当長禅寺に葬られました。のち信玄は夫人が深く帰依した岐秀元伯和尚を開山として甲府長禅寺を建立し、母の菩提所を定めました。これにより当寺には「古」の字を冠して古長禅寺と言われるようになりました。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R3.4.3
住所: 山梨県南アルプス市鮎沢505
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