妙立寺〔忍者寺〕(金沢市)
妙立寺は、山号は正久山、日蓮宗の寺院です。通称忍者寺の名で知られています。
加賀3代藩主の前田利常公が、初代藩主・利家公が金沢に入城して間もないころに、政治の理念を日蓮宗・法華経の中道精神に求めて建立した「祈願所」だったものを寛永20(1643)年、金沢城近くから移築建立しました。
徳川幕府が名実ともに日本全国を統一するため、ささいなことを理由に、多くの諸大名を取り潰したころです。利常は徳川家から嫁を迎え、母親を人質に出し、鼻毛を伸ばして馬鹿殿様を演じ、謀反などとんでもないと幕府を安心させました。その一方で、多くの武士が起居できる寺院群を、現在の寺町に新築しました。その中心に監視所の役割を持つ当山・妙立寺を建立したのです。
見上げるような屋根、望楼、多くの隠し階段、切腹の間など、種々の仕掛けがあるので「忍者寺」とも呼ばれています。今も現存する当山は、初代藩主・利家公が金沢に入城して間もないころに、政治の理念を日蓮宗・法華経の中道精神に求めて建立した「祈願所」だったものを、利常公の知略で移築されています。
結局、戦火にあわず、風雪に耐え、加賀百万石の繁栄とともに歴代の加賀藩主は「祈願所」として崇め、武運長久を祈り、家紋「剣梅鉢」を守ってきたのです。
建立当時は、幕命で三階建て以上の建築は禁止されていた。しかし当山は、外観は二階建てだが、内部は四階建て七層にもなっている。しかも、その構造は、きわめて頑強で、台風や雪害などに充分耐えられる配慮がなされている。
中二階、中々二階など複雑な構造の中に、部屋数が二十三、階段数が二十九もあり、最上階の物見台ともとれる望楼は各方面を遠望でき、金沢城への逃げ道といわれる大井戸など、出城としての要素を数多く秘めています。
また、忍者寺といわれる仕掛けもありますが、忍者の寺として建立したのではなく、幕府からの公儀隠密や外敵の目をあざむくために装備されたもので、堂内のあちこちは迷路のようになっており、類のない建物です。
拝観時間 9:00〜16:00※要予約、ただし当日の空きがあれば可能。
拝観料 大人(中学生以上)1,000円 小学生700円
拝観休止日 1月1日及び法要日
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R3.11.21
住所: 石川県金沢市野町1-2-12
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