JR深谷駅・澁澤栄一座像(深谷市)
東京駅を模したデザインの駅舎と澁澤栄一座像
2022年01月23日

深谷には上質な煉瓦の生産に適した土があることから、煉瓦生産が盛んに行われていました。
深谷市は、機械式煉瓦生産発祥の地です。
深谷市の玄関口であるJR深谷駅は、東京駅を模したデザインの駅舎で知られています。東京駅が深谷市産のレンガを大量に用いている縁から「レンガの街」をアピールする意味を込めて平成8(1996)年に改築されました。この駅は、渋沢栄一翁の顕彰と煉瓦を活かしたまちづくりを進める深谷市にとって、シンボル的な存在となっており、「関東の駅百選」にも選ばれています。駅北口には、「渋沢栄一からくり時計」が設置されています。また、駅前には澁澤栄一座像があります。
銅像は、平成8(1996)年に建立されたものですが、この銅像は2代目で、初代の銅像は、現在、血洗島の渋沢栄一記念館に設置されている銅像です。初代の銅像は、「男爵渋沢青淵先生寿像」として大正2(1913)年に制作されたものを現在の大きさにして、昭和63(1988)年3月に深谷駅前区画整理事業完成記念として青淵・渋沢栄一銅像建設協賛会が深谷駅前の青淵広場に建立。その後、市に寄付されたもの。深谷駅前の銅像は、東京電力によって毎年清掃されています。現在の東京電力は戦後に創立された会社ですが、その前身は、明治19(1886)年に営業を開始した東京電灯会社です。
正二位勲一等子爵澁澤栄一先生は、天保11年(1840)2月13日私達のまち深谷市大字血洗島に生まれました。
幼い時から読書を好み、家業を助け、少壮の頃は国事に奔走、慶應3年第15代将軍慶喜公の命令により渡欧して見聞を広め、帰国後明治新政府に出仕し、近代国家形成のための諸制度、諸事業を策定しました。
明治6年富国の道を求めて野に下り、わが国最初の銀行を創立し、続いて製紙・紡績・製鋼・造船・鉄道・ガス・電気・窯業等先進諸国が有する諸事業のすべてを創立あるいは援助育成しました。
一方、福祉・教育・医療等数多くの分野にそれぞれの機関を創設してその運営に挺身、その他労資協調・国際親善に心を砕き、昭和6年11月11日、91年の生涯を閉じられました。
先生は常に道徳と経済の合一を説かれ、その思想を経営の基本とされました。
先生を追慕する私達は、朝夕その教えを守り、後世に余光の及ぶことを祈念してここにこの像を建立しました。
建立 昭和63年3月吉日 青淵・澁澤栄一銅像建設協賛会
建立 1996年7月 澁澤栄一座像 田中 昭 作
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R3.12.28
住所: 埼玉県深谷市西島町三丁目
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