全洞院・渋沢平九郎の墓(越生町)
全洞院は山号は岩松山、龍ヶ谷の曹洞宗龍穏寺の末寺で、龍穏寺六世喜州善欣(きしゅうぜんきん)が開山、洞嶽石瑞が中興したと伝わります。
当地黒山は中世以来、修験の先達山本坊の勢力下にありました。「全東院」「善東院」と書かれた例もあり、元々は山本坊の本坊、熊野神社の東に開かれた修験寺院であったことが想定されます。
境内墓地には渋沢平九郎の墓があります。
平九郎は飯能戦争を戦った旧幕府軍の振武軍の参謀で、慶応4(1868)年5月23日、敗走の途中に官軍の斥候隊と遭遇し孤軍奮闘後、自決しました。
ここからほど近い顔振川岸に、彼が座して割腹した「自刃岩」があります。首は刎ねられて今市(現越生市街地)に晒され、骸は全洞院に葬られました。住職は白木位牌に「大道即了居士 俗名知らず、江戸のお方にて候、黒山村にて討死」と記しました。村人たちは壮絶な最期を遂げた青年を「脱走様(だっそさま)」と呼び、命日には空腹を思いやり、墓前にしゃもじを供えました。
渋沢平九郎は旧姓尾高、諱は昌忠、榛沢郡下手計村(現深谷氏)出身で、渋沢栄一の妻千代の弟である。栄一が渡欧する際に見立養子となり渋沢姓を名乗っていました。享年22歳でした。
なお、本堂の前には、一時住職を務めていた、俳人松野自得の「白梅のある夜飛びゆき星となる」の句碑があります。
令和3(2021)年の大河ドラマ「青天を衝け」の第25回「篤太夫、帰国する」の青天を衝け紀行で紹介されました。
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R3.12.29
住所: 埼玉県入間郡越生町黒山
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