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親不知コミュニティーロード展望台・ウェストン像〔青海八景 四世代道暮色〕(糸魚川市・旧青海町)

波うち際の旧道から北陸自動車道までの「四世代道路」を一望できる親不知コミュニティーロード展望台
2022年07月24日
カテゴリ : 新潟県 > 観光 > 自然
親不知は、松尾芭蕉の紀行文「奥の細道」に描かれた景勝地を保護する国の名勝「おくのほそ道の風景地親しらず」に指定されています。明治16(1883)年に崖の中腹に道路が造られる まで、波を避けながら浜辺を通り抜ける危険な道でした。ここでは、芭蕉も見た絶景と、難所を克服しようとした人々の歴史を垣間見ることができます。
「親しらず」は、100万年くらい前に東西の方向(海岸に沿うよう)に隆起し、崩れやすい部分が波に浸食されてできた約15kmにも及ぶ「親不知子不知」とよばれる断崖の一部で、古くから交通の難所として知られています。北アルプスが日本海に落ち込む断崖絶壁が続く親不知は、かつて「天下無双の難所」と呼ばれた交通の難所であり、東西日本の境界でもありました。北国街道を南下した松尾芭蕉の一行は、1kmにもわたる約100mもの断崖絶壁の壮大な海岸について、紀行文『おくのほそ道』に「北国一の難所」と記しています。その風光明媚で不変な景観は、陸実・北陸の名勝の1つとして、平成26(2014)年3月18日に国の名勝「おくのほそ道の風景地親しらず」に指定されました。時代が移り変わっても、人々の心を捉え続ける「親しらず」は、現在も多くの文学作品や絵画等に描かれています。
明治16(1883)年に崖の中腹に道路が造られるまで、波を避けながら浜辺を通り抜ける危険な道でした。ここでは、芭蕉も見た絶景と、難所を克服しようとした人々の歴史を垣間見ることができます。

草しばり 崖くづれたる親不知の ふる道いまは萩のまさかり
相馬御風

市道・天険親不知線は、昭和61(1986)年建設省の「道の日」制定記念の一環として進められた、「日本の道百選」の一つに選ばれました。また、この道は、貴重な歴史的土木構造物として、平成19(2007)年に土木学会選奨土木遺産に認定されています。
今から八百年前の源平盛衰の昔、越後の五百刈村へ移り住んだ、池大納言頼盛(平清盛の異母弟)の後を追って、この地を通りかかった夫人が、懐の愛児を波にさらわれ、悲しみのあまりこの歌を詠みました。
親しらず子はこの浦の破まくら
越路の磯のあわと消えゆく
この歌が地名の由来といわれる親不知・子不知は古来から旅人が北アルプス端の新崖と、日本海の荒波を縫って、命がけで通行する、天下の難所といわれています。
旅人は、この地を通る前に、必ず「無事に通れますように。」と、波除観音にお祈りをしてから出発しました。また、波除観音の下方にある岩は、旅人が波にさらわれないようにとしがみついたが、だんだん下へずり落ちてゆき、ほほの髭が擦り切れたことから、髯剃岩といいます。
この天下の難所にも、大懐・小懐や大穴・小穴のような天然の避難所があります。
大懐から大穴までは、親不知中最も危険なところであり、走り抜けないと波にさらわれることから、長走りと呼ばれています。
また、小穴を過ぎると、絶壁に「南無金剛遍照」と刻まれてあり、ここから西は、走り込みと呼ばれ、ここまで来ればもう安心といわれました。この親不知の難所を越えればまるで極楽浄土を旅するようだということで、そのあたりは浄土と呼ばれており、そこには、波除不動が祭られています。旅人は皆、「無事通り抜けられました」と手を合わせて、先へと旅立って行きました。これが「第一世代の道」でした。
この天下の難所も明治11(1878)年、明治天皇御巡幸を契機に国道建設運動が盛り上がり、明治16(1883)年に東西日本を結ぶ日本海側の笑動
が完成しました。この工事は、断崖統壁をって、すべて人力で行われ、苦難をめたといわれております。また、この開通記念として、道路から見上げる大きな一枚岩に、約1メートル四方の字で、「如砥如矢(とのごとくやのごとし)と刻まれ、開通の喜びが表わされています。です。このように、明治人が近代国家建設にむけて開した道が、現在の市道天険親不知線「第二世代の道路」です。
その後、改良と災害復旧が重ねられましたが、車社会に対応して昭和41(1966)年に国道8号天険トンネル(延長734メートル)が完成しました。これが「第三世代の道」です。
昭和63(1988)年、近年の高速交通時代に向かい、現在の道路建設技術の粋を集めて、日本初の海上高架橋、親不知海上インターチェンジを含む、北陸自動車道が完成しました。これが「第四世代の道」です。
展望台からは、波うち際の旧道から北陸自動車道までの「四世代道路」を一望できます。親不知の地形が分かる模型も展示されている他、ウェストン像があります。昭和63(1988)年7月19日に設置されたものです。
日本近代登山の父ウォルター・ウェストン(1861〜1940)はイギリス人の宣教師で、布教活動を目的に3度来日しました。
登山家でもあるウェストンは、日本アルプスや富士山をはじめ多くの山々を登山し、日本の近代登山の発展に大きく貢献しています。明治27(1894)年に親不知を訪れ、著書「日本アルプスの登山と探検」で、ここが日本アルプスの起点であると紹介しています
新潟県糸魚川市では、ウェストンが「親不知が日本アルプスの起点である」として訪れていることを機縁とし、例年地元有志による「海のウェストン祭」が催されています。
NHKのブラタモリ「#191 糸魚川〜君は糸魚川の本当のすごさを知っているか?〜」でも紹介されました。

Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R4.7.16
住所: 新潟県糸魚川市市振

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