伏見城〔伏見指月城〕(京都市伏見区)
豊臣秀吉が最初に築いた伏見城・伏見指月城
2022年09月19日
伏見指月城跡は、伏見桃山丘陵の南西部にある半独立的な小丘陵である指月の丘の上に位置しています。指月の丘は、平安時代の治暦3(1067)年頃に平等院を建てた関白・藤原頼道の子である橘(藤原)俊綱が、壮大華麗な伏見山荘を造営したとされています。その後、鎌倉時代から室町時代にかけて、天皇を退位した法皇の隠居所となる仙洞御所として後白河院を始めに伏見院・花園院などが、次々と山荘的宮殿・伏見殿を営み、歴代の伏見殿は当時から観月の名所として都の人々に広く知られていたようです。
安土桃山時代になると、天下人である太閣・豊臣秀吉が、文禄元(1592)年にこの指月の丘の上に自らの隠居城の建設を始めます。そして、文禄3(1594)年には、本格的な五層の天守を持つ天下人の城郭へと改修拡大工事を始めています。文禄5(1596)年には完成しましたが、明の使節の正使と会う直前の同年7月に慶長の地震により、耐震建設ではなかった城郭はピリオドを打ちました。直後には、北東の現在は明治天皇陵が所在する木幡山に伏見(木幡山9城の築城を始めています。このように短期間で終わった伏見指月城は、いつしか人タの記憶からは消えてゆき、
その歴史的実存までもが疑われるようになっていきました。
平成27(2015)年4月〜7月にかけて、ライオンズマンション建設に先立ち実施した発掘調査によって指月城の中心部の一角を検出しました。当
いで深さ3m以上、約40mに渡り南北方向に延びる城の内とその東辺のほぼ全面と西辺の一部で、一辺1m以上を測る大石を用いた石垣を発見しました。石垣は表面の特徴などから穴太(衆)積みと見られ、石垣の石材は、山科石の割り石を含んだ石英斑岩を数多く用いています。堀を埋めた土からは、金箔のよく残った金箔瓦(鯱瓦、鬼瓦、菊文・桐文・日輪文軒丸瓦、軒平瓦、菊丸瓦ほか)が多数出土しました。これらは、城郭の中心施設にかれている飾瓦類と考えられます。堀東側の石垣の年代特定に課題を残しますが、堀とそれに伴う石垣・大量の金箔瓦類は、伏見指月城の存在を実証する歴史的史料です。ここでは、堀東側の石垣の一部を移築し、展示保存しています。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS M6
R4.9.4
住所: 京都市伏見区桃山町泰長老176-6
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