須川山砦(米原市・旧山東町)
長比城と似た構造の同一の城塞群・須川山砦
2022年11月17日
長比城(たけくらべじょう)・須川山砦(すがわやまとりで)は滋賀県と岐阜県にまたがる標高400mの野瀬山に位置しています。長比城は元亀元(1570)年に朝倉氏の協力を得た浅井氏によって築かれました。
須川山砦の築城年代は不明ですが、長比城と立地が近いことや類似する城郭構造を持つことから同時期に築かれたのではないかと考えられます。
この地域は近江国と美濃国と接する国境地帯であったため、国境を警備するための山城「境自の城」が多く築かれました。長比城もそういった国境警備のための山城のひとつです。
元亀元(1570)年4月、 越前の朝倉義景の討伐に向かっていた織田信長に対して浅井長政が攻撃しました。
長政の妻は、信長の妹であるお市の方であり、そういった背景から浅井氏と織田氏の間に非常に強い結びつきがありました。そのため、信長にとって長政の離反は衝撃的であり、信長は厳しい状況に追い込まれることとなりました。以降、浅井氏と織田氏は戦争状態へと突入していきます。
同年6月、体勢を立て直した信長は浅井長政の討伐へと向かいます。これに対応するべく、浅井・朝倉軍は美濃国との国境に防衛ラインを設けます。「信長公記」という文献に「去程に浅井備前越前衆を呼越し、だけくらへ・かりやす(上平寺城のこと)両所に要害を構え候」という記述が残っており、信長の侵攻に対して、越前衆の力を借り、長比城などを改修したことがわかります。
しかし、浅井氏家臣の堀秀村・樋口直房が守っていたのですが、竹中重治の調略により両名は織田軍に投降し、長比城は開城してしまうことになるのです。
須川山砦は比較的小規模ですが、高い土塁を巡らせて、北側と南側に外枡形虎口を設けています。また北側の尾根には畝状竪堀群を備えています。長比城と須川山砦は立地が近いことや非常によく似た構造をしていることから、同一の城塞群として考えられています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R4.11.6
住所: 滋賀県米原市須川
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