得法寺(若狭町・旧上中町)
徳川家康腰掛けの松があった得法寺
2022年12月19日
得法寺は山号は庵谷山、浄土真宗本願寺派の寺院です。
嘉禄2(1226)年、叡山西塔慈円房須智(北条義時の子息で比叡山延暦寺の僧)が草庵を結び阿弥陀如来像を安置したのが始まりと伝えられています。当初は天台宗の寺院でしたが文明7(1475)年、蓮如上人が越前国から上洛の際当寺を訪れ「船路の御名号」を賜わったことで浄土真宗に改宗しています。また、八房の梅を庭前にさし大樹となりましたが、その古木は枯れ、今の梅の木はその種子から生じたものといわれています。
本堂は宝暦6(1756)年改築されました。
歴代領主(熊川城の城主)だった沼田氏とも関係が深く境内には沼田氏の供養塔と言われる層塔が建立されています
光秀の娘 玉(玉子・後の細川ガラシャ)の姑にあたる沼田麝香の出自である熊川城主沼田氏の供養塔があります。
境内には徳川家康腰掛けの松の跡があります。元亀元(1570)年越前朝倉攻めに際し、信長に従っていた徳川家康は得法寺に宿泊し、翌朝出発の時にこの松に腰掛けたという伝説があります。「土地は熊川、寺は、徳法寺、余は徳川、因縁あるかな」と言ったといわれています。
その後、初代の腰掛の松は松くい虫に侵され、平成12(2000)年に伐採されました。同じ場所に新たに植樹がされるとともに、根元の部分を保存しています。
寺宝も多く、後水尾天皇御宸筆紙太墨書(室町時代)と蓮如上人御染筆船路(室町時代)の名号が昭和36(1961)年に若狭町指定文化財にそれぞれ指定されています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R4.12.10
住所: 福井県三方上中郡若狭町熊川33−26
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