西郷ノ局の生誕地(掛川市)
徳川秀忠の生母お愛(西郷の局)の生誕地
2023年11月03日
二代将軍、徳川秀忠公の生母、西郷ノ局は、幼名をお愛と言い、父、戸塚五郎太夫忠春、母、おさい(おさだ)の娘として構江屋敷に生まれました。
此の地は、構江段と言い、斎宮を中心に、北西に弓矢八幡宮、南東に若宮八幡宮を祀ってあります。土塁・堀をめぐらせ、東門、三ヶ月堀、殿屋敷と伝えられています。
戸塚五郎太夫忠春は、今川氏に仕えた西郷十八士の一人で、構江に住んだ人です。
天文23(1554)年、忠春は大森の戦で討死し、おさいは、服部平太夫と再婚して殿屋敷に住みました。
また、この地は服部平太夫正尚の弟、青山図書介の屋敷跡で、壱万石を賜わり、江戸詰めとなり幕府の要職についた、青山図書介の若い時の屋敷跡とみられます。
法泉寺七世心翁永伝和尚は、忠春の次男で、徳川家康が、江戸城鎮護の裏鬼門に拾万石の格式を与えられ、西郷ノ局、父忠春を中興の開基として、牛込に法泉寺を開き、後、天龍寺と改名され現存されております。
お愛が、浜松城に家康の側室として上った頃、五社大明神を城内にお祀りしたいと申し出、許されて、五社様を分神する事になり、当日真夜、タイマツの灯が町まで連なったと、古老達の間に語りつがれております。
構江(かまえ)公民館敷地内に案内板があり、「斎宮」が残っています。
Photo Canon EOS 5D Mark Ⅳ
R5.10.15
住所: 静岡県掛川市上西郷
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