小長谷城(川根本町〔旧本川根町〕)
甲州流築城術の痕跡をとどめる小長谷城
2023年12月17日

小長谷城は小長井城または徳谷城とも呼ばれ、中世にこの地に居住した武将小長谷(井)氏の居城と伝えられています。
築城年代その他の史実は明確ではありませんが、現在残されている遺構は室町時代中期(15世紀ごろ)以降のものであろうと推定されます。
小長谷(井)氏は、今川氏が駿河守護大名として一帯を支配していた頃今川家に属していました。しかしその後永禄11(1568)年武田信玄の駿河侵攻により、武田方に降り武田氏の指揮下のもとに城の大改造が行われ、天正10(1582)年武田氏滅亡の頃と前後して、当寺の城主長門守政房によって廃城になったものと推測されています。
小長谷城は城郭の種類としては規模はそれほど大きくはないが、山地を利用した三段の曲輪配置は、中世城郭の平山城に属し、大井川上流地域における歴史を物語る城郭の遺構として高く評価されています。
現在の遺構は徳谷神社境内地(約14,000㎡)に残っています。B&G本川根海洋センター敷地も、その城域でしたが、敷地内の堀は埋められました。
空掘は、一号堀から五号堀まで残っており、とくに三号堀と四号堀は武田氏による改築が行われ、これが甲州流築城術の証です。本丸・二の丸・三の丸は、神社の鳥居から社殿にかけて三段の曲輪があり、一番奥が本丸、次が二の丸、三の丸と呼ぶべきと考えられ左手には付属の曲輪一、二があります。
本丸・二の丸・三の丸・付属曲輪を仕切る土塁を設け、さらにこれらを囲む土塁があり見事な遺構をとどめています。
井戸跡は、直径1.3m、深さは埋没してよく判らない状況です。江戸末期に著された「波摩都豆羅」と「駿河志料」に、この「古井戸」が記録されています。
城跡にある徳谷神社は創建年代は不祥ですが、元和5(1620)年に小長谷城跡に再建されました。
祭神は天照大神 須佐之男命、底筒男命、中筒男命、表筒男命です。
元は牛頭天王と称え藤川字古社に鎮座していましたが、小長谷城址に遷座したものです。
領主の小長谷長門守一族が滅びて武田氏の領土となり徳谷天王と唱えていました。
明治3(1870)年4月徳谷神社と改称され、明治8(1875)年、村社に列せられ大正4(1915)年11月9日、神饌幣帛料供進社に指定されました。
大正4(1915)年11月8日字三盃鎮座の住吉神社の祭神三社を合祀しました。
昭和21(1946)年10月7日宗教法人令による神社を設立し、昭和28(1953)年8月4日宗教法人法による神社を設立登記しました。
Photo Canon EOS 5D Mark Ⅳ
R5.11.19
住所: 静岡県榛原郡川根本町東藤川
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