二條家邸跡(京都市上京区)
同志社女子大学のあたりにあった五摂家の一つ、二條家邸跡
2024年03月21日
同志社女子大学のあたりに五摂家の一つ、二條家邸がありました。
時は江戸。現在の京都御苑は天皇の居所である内裏(京都御所)を中心に宮家や公家が集する空間(公家町)でした。今出川通の北側にも屋敷が並び、当地(女子大学東半部)には二條家が広大な屋敷地を構えていました。二條家は藤原氏を祖とし、「五摂家」の一つとして朝廷内では格式の高い家柄にあたります。二條斉敬は、孝明天皇の関白、明治天皇の摂政となり、朝廷での重要な能取りを担いました。
彼を訪ねて会津藩主松平容保を始め、将軍・諸大名が数多く屋敷に通っています。。
礎石が展示してありますが、平成19(2007)年度の同志社女子大学構内の発掘調査で出土したもので、かつてあった三條家邸の存在を今に伝える貴重な遺産です。
また、平成26(2014)年度の新校舎(希望館)建設に伴う発掘調査で検出された井戸は幕末期の二條家邸で構築された井戸で数基のうち一基を移築しています。井戸の深さは、遺構検出面から測ると約2.5mですが、安全上のため深さは60cmに留めて保存を行っています。
また、同時期に江戸時代中頃の石組の地下式通路を数基確認し、その一つを移築しています。
近世における屋敷図等には「下々道」と記載されるものであり、この遺構の上部には渡り廊下が設置されていたと推測されています。数基の地下通路は渡り廊下の位置を示しており、複数の建物が渡り廊下によって接続される上級の公家屋敷であった事がわかります。
これらは二條家が公家の筆頭五摂家であることを感じさせる考古学的に貴重で重要な建築遺構です。
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R6.2.23
住所: 京都府京都市上京区常盤井殿町
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