若胡子屋跡(呉市〔旧豊町〕)
御手洗の繁栄の象徴「茶屋」の一つだった若胡子屋跡
2024年10月14日
江戸時代、西廻り航路が整備されて以降、御手洗は「潮待ち・風待ち」の港として急速に発展していきました。
北前船などの船乗りをもてなす商いが展開されていく中で、とりわけ「茶屋」の存在が御手洗の繁栄の象徴とされました。
この「若胡子屋」は、江戸中期の享保9(1724)年、御手洗で初めて広島藩から茶屋株の許可を得ました。
その後も「堺屋」、「藤屋」、「海老屋」と四軒の茶屋が開業し、御手洗は花街として全国に知れ渡りました。
中でも最大の若胡子屋には、参勤交代で往来した熊本藩主の豪遊や、江戸参府の途中に立ち寄ったオランダ商館員の記録も残されています。
唯一建物が現存する若胡子屋ですが、廃業後の幕末には広島藩の交易所となり、明治中期には寺院、戦後は公民館に転用されました。その際に、主屋内部は講堂に改造されており、入母屋造・本瓦茸の外観に創建時の面影を残すのみです。
また、別棟の奥座敷は、天井・雨戸などに薩摩藩が専売していた「屋久杉」が使われるなど、往時の繁栄が偲ばれる贅沢な造りとなっています。また、庭の土塀には桜島の噴石が塗り込められており、薩摩藩と御手洗との密接な繋がりがわれます。
昭和15〔1940〕年に広島県史跡に指定されています。
令和3(2021)年12月より、建物内部の長期復元改装工事が行われており、現在は内部の観覧は出来ません。
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R6.9.15
住所: 広島県呉市豊町御手洗149−1
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